2013年10月20日
うなぎ飯
お昼ご飯。
ひとり一尾づつではなく、大勢で食べられるうなぎ飯は経済的。
かば焼きの串をぬいて適当に切り、味付けし、ご飯が炊きあがってから混ぜる丘混ぜごはんのうなぎ飯。

味噌汁の身は油揚げと冬瓜。

ひとり一尾づつではなく、大勢で食べられるうなぎ飯は経済的。
かば焼きの串をぬいて適当に切り、味付けし、ご飯が炊きあがってから混ぜる丘混ぜごはんのうなぎ飯。

味噌汁の身は油揚げと冬瓜。

Posted by トンボ at 12:00│Comments(2)
│お昼どき
この記事へのコメント
うなぎ、大好きでした。
中学、高校時代近所のヒデちゃんと一緒に、大井川に置き針をかけてよく釣りました。
一晩泊りがけで釣りました。
蓬莱橋を渡った向こう側(おおがけ?)で。
100セットぐらいかけて、時々見回り、朝まで釣ります。
1日で30匹程度。
釣れたウナギは高砂のウナギ屋に売っていました。
1匹の値段は忘れましたがそこそこにはなったはずです。
エサは泥鰌、ミミズでは先にウグイやカジカがかかってしまいます。
エサの泥鰌は焼津の豊田でとっていました。
泥鰌を1番多くとったのが半日で30キロ。
1キロ300円、9000円でした。
当時アルバイトの家庭教師が週2日で月4000円、2人教えて8000円でしたから大きな収入でした。
中学、高校時代近所のヒデちゃんと一緒に、大井川に置き針をかけてよく釣りました。
一晩泊りがけで釣りました。
蓬莱橋を渡った向こう側(おおがけ?)で。
100セットぐらいかけて、時々見回り、朝まで釣ります。
1日で30匹程度。
釣れたウナギは高砂のウナギ屋に売っていました。
1匹の値段は忘れましたがそこそこにはなったはずです。
エサは泥鰌、ミミズでは先にウグイやカジカがかかってしまいます。
エサの泥鰌は焼津の豊田でとっていました。
泥鰌を1番多くとったのが半日で30キロ。
1キロ300円、9000円でした。
当時アルバイトの家庭教師が週2日で月4000円、2人教えて8000円でしたから大きな収入でした。
Posted by 鮎摑み名人
at 2013年10月22日 06:52

鮎摑み名人さんが自ら ”名人” と名乗る訳が納得!
このお話を聞くと
昔、川のうなぎがいかに豊かであったか、今ではおとぎ話のよう。
それこそ、私は田んぼに囲まれて育ったので何年かに一度自宅近くの
ため池の水を全部抜くことがあって、フナやコイも出てきましたが
うなぎも泥の中からぬるぬる出て来て気持ち悪くて好きになれませんでした。
いつから食べれるようになったか・・・、今では大好物のひとつです。
このお話を聞くと
昔、川のうなぎがいかに豊かであったか、今ではおとぎ話のよう。
それこそ、私は田んぼに囲まれて育ったので何年かに一度自宅近くの
ため池の水を全部抜くことがあって、フナやコイも出てきましたが
うなぎも泥の中からぬるぬる出て来て気持ち悪くて好きになれませんでした。
いつから食べれるようになったか・・・、今では大好物のひとつです。
Posted by トンボ
at 2013年10月23日 20:16
