2012年02月13日
昭和を描くブーム
”はやぶさ” にしようか、
”3丁目” にしようか
・・ 結局 ・・

『 ALWAYS 三丁目の夕日 ”64 』 を観る
昭和30年代の街並みがそのまま映し出されてノスタルジック
☆♪~ ☆♪~ 昭和を描くブーム ~ ☆♪~ ☆♪


NHK朝の
連続テレビ小説
「カーネーション」 もそう
連続テレビ小説
「カーネーション」 もそう
セットや小道具など
ちゃんと再現している
足踏みミシンのリズミカルな音 



カタカタカタ・・・
ミシンの名前も
リズムミシン

2011年10月23日
空模様

気象情報は傘マーク
予報どおり
朝から雨模様
☆.。.:*・。★.。.:*・。☆.。.:*・。★.。.:*・。☆.。.:*・。★.。.:*☆
夜は、『プラザおおるり』 で
島田市商工会議所創立60周年記念事業のひとつ

堤 幸彦監督トークショー と、
映画上映会
(まぼろしの邪馬台国)
映画上映会
(まぼろしの邪馬台国)
トークショーでは 11/3 に
56歳になる堤監督を
バースデイケーキと歌で祝福
この映画のロケ地は島田市のおなじみの場所
北河製品所、SLと大鉄家山駅など。
エキストラの人数が延べ640人とのこと
監督は、 ”女優の涙” についても触れ
主演の吉永小百合がラストシーンで
涙を流すか、流さないか、

本番ではどのように演じているか
そこを見てください ・・ と監督
・・ ラストシーン、観客側(私)が涙を流しました。・・

堤監督はトークで、映画の後は
心のおみやげを持っていってもらう
・・ とも言ってました
2011年07月31日
アンダンテ
7/30 (土)
島田のプラザおおるりで上映
映画・ アンダンテ~稲の旋律~
ひきこもりの女性が
田植えから稲刈りまでやる農業を通して立ち直る話
映画と言えばいつもいねむりが出て困るのですが
そんなこともなく涙がホロッとでました
実った稲の田んぼで弾くピアノと
最後に歌う新妻聖子の歌もよかった

映画が終わってポスターをはがす係りの方、
「コレ、よかったら差し上げますよ。」
・・ 「どうもありがとう!」
島田のプラザおおるりで上映
映画・ アンダンテ~稲の旋律~
田植えから稲刈りまでやる農業を通して立ち直る話
映画と言えばいつもいねむりが出て困るのですが
そんなこともなく涙がホロッとでました
実った稲の田んぼで弾くピアノと
最後に歌う新妻聖子の歌もよかった

映画が終わってポスターをはがす係りの方、
「コレ、よかったら差し上げますよ。」
・・ 「どうもありがとう!」
2011年05月28日
映画・「岳」


映画 ・ {岳」-ガクー
おサルさんのブログを読んで観たくなり
藤枝 シネ プレーゴ に行ってきました
おととし、登った山 (奥穂) が撮影場所だったこと
それと、三ツ峠。 ここもそう。
大絶壁のある山梨県の三ッ峠は、SHCの定例山行で行ったところ
そう言えば、山を歩きながら大絶壁を指しながら
「小栗旬があそこでクライミングの映画の撮影したんだってよ。」
と、誰かが言ってたのを思い出しました
山岳救助隊の方々は遭難者を救助する仕事
二重遭難を起こしてはならない、
独断で行動することも禁物
山では助け合わないと生きていけない
因みに、 SHC では、
近々、島田市大草の「山王」に於いて 「セルフレスキュー研修会」 があります
☆♪~ ☆♪~ ☆♪~ ☆♪~ ☆♪~ ☆♪~ ☆♪~ ☆♪~ ☆♪
2011年03月24日
映画のタイトル

淀川長治さんが解説する、TVの洋画劇場
『魚が出て来た日』
「怖いですねえ、恐ろしいですねえ、」
のセリフの通り、怖い映画でした
地震による福島第一原発の事故の影響は、
浄水場で放射性ヨウ素検出と報道され
この映画の事を思い出しました
ラストシーンを見て初めて、この映画のタイトル、
『魚が出て来た日』 の意味がわかるのです
2010年03月15日
みのる座-⑥


3/11(木) 放送の画像

78歳。 白髪の山田監督
髪の毛が真っ黒だった若い頃、島田みのる座経営者の父、修平さんと
御縁があり、お互い映画青年同士意気投合し語り合ったという
トークショーでは監督と来場者たちとの間で活発な質疑応答が行われたり
島田がロケ地「母べぇ」では出征兵士を見送る大事なシーンなので命がけで撮ったこと
撮影する前、映画は大勢で作る芸術 「山田組の一員」 となって、
皆さん(エキストラ)理解してくれていた
武士の一分でキムタクが起用された理由、なぜ、ロケ地を島田に選んだのか、
また、「虹をつかむ男」でモデルは修平さんなのに映画館は徳島県でロケしたが
みのる座を使わなかった理由などの質問に答えた
山田洋次監督作品、「おとうと」 はベルリン国際映画祭で特別功労賞を受賞、それについては
清く正しいイメージの吉永小百合さんと、一見粗野だけどキレイな心を持っている笑福亭鶴瓶さん
この二人だからこそ出せる“姉弟の絆”を撮ることが出来たと思う。と、語る監督
家でDVDで観賞する人が多いけど、映画は本来みんなで観て、
一緒に笑ったり泣いたりしながら観るものです・・とも
最後に
50年前、こんな瞬間を迎えるのを想像しただろうか 感慨無量です
映画界を代表して おつかれさま と言いたいです ・・と監督
監督の言葉に目頭をおさえている人もいました
2010年03月13日
みのる座-⑤

90余年の歴史を刻む 「島田みのる座」 で上映する最後の映画 ・・
寅さんが島田市の蓬莱橋を歩くシーンから始まる 「男はつらいよ 噂の寅次郎」
蓬莱橋ですれ違う大滝秀治扮する僧から女難の相がある と言われる寅さん、
ロケ地は他に、伊太のお水神さん、大井川鉄道の千頭駅前のバス停も出てくる
寅さん映画は観客を笑わせる、
見る人がこんなに面白いのだから、渥美清の寅さんを囲む共演者は演技中、
寅さんがおかしくて笑ってしまわないだろうか、笑い上戸の人、俳優は無理ね
2010年03月12日
みのる座-④
昨日の続き

みのる座のチケット売り場
あと7年
あと7年で100年なのに ・・
でも、山田洋次監督は言いました
よく今まで頑張った、
90年あまり火事もなく長生きした
十分、役割を果たした・・。 と
大正時代の 「レンガ張りタイル」 を残しているというレトロな建物


あと7年
あと7年で100年なのに ・・
でも、山田洋次監督は言いました
よく今まで頑張った、
90年あまり火事もなく長生きした
十分、役割を果たした・・。 と
大正時代の 「レンガ張りタイル」 を残しているというレトロな建物
2010年03月11日
みのる座-③

単館映画館が消える日
島田みのる座


トークショーも終え
観客席も見納めとなった
経営者の想いは
いかばかりか
♪ ニューシネマパラダイス
を思い起こす
あの映画のサントラ盤が
聞こえてきそう

全てが終了し、出口で
挨拶する経営者のご家族と
握手を交わす
挨拶する経営者のご家族と
握手を交わす

事の趣を深く感じながら
外に出ると・・
突然、インタビュー!

「今のお気持ちは ? 」

ざ、ざ、 残念です。」

普段なら
口角泡を飛ばしてしゃべる私
言いたいことの
0.001%も言えず・・
・・ダメね
この、路地を歩いて本通へ
そう言えば
大川町の 「太陽館」 も
こんな路地裏だっけ・・。
2010年03月10日
みのる座閉幕

島田・みのる座
本日、さよなら上映
一世紀近い歴史に幕

「男はつらいよ 噂の寅次郎」
の上映後、
山田洋次監督のトークショー
山田監督は
黒のジャケット
赤(オレンジ系)のマフラー
グレーのズボン・・ で登場
パネルディスカッション風に
監督を囲んで4名の方が
映画への想いを語りました
進行係りの女性が質問、
内容は・・・
小出しブログで少しづつ・・

島田の映画館として
存続してほしいけれど
残念!
さようなら、島田みのる座
・・・続きはまたあした・・
2010年03月09日
映画館廃館
島田市唯一の映画館 「みのる座」 の廃館
明日、3/10、
「さよなら上映」する
みのる座
最後に上映する映画は
島田市がロケ地の
男はつらいよ・22作目
「噂の寅次郎」
山田洋次監督来島、
山田監督のトークショーがある
第一線で活躍する
映画人の経験を直接聞く
機会に恵まれました
事の趣を深く感じながら
明日は 最後の観客 です。
写真は今年1/6撮影

「さよなら上映」する
みのる座
最後に上映する映画は
島田市がロケ地の
男はつらいよ・22作目
「噂の寅次郎」
山田洋次監督来島、
山田監督のトークショーがある
第一線で活躍する
映画人の経験を直接聞く
機会に恵まれました
事の趣を深く感じながら
明日は 最後の観客 です。
写真は今年1/6撮影
2009年06月22日
話題の映画
6/21(日) 天気
山へ行く予定が雨天中止となる。
そこで、・・・雨の日は映画に限る ・・
見るならコレ、昨日封切りの、「剣岳・点の記」。
於、藤枝シネ・ブレーゴ
以前書いた、
監督の木村大作氏のお話の通りだった。
新田次郎原作のこの映画、「剣岳・点の記」
小説にでてくる、川根本町出身の測夫、
生田信さんにまつわるエピソードも
(生田さんのお孫さんは、現在
川根本町千頭在住)
柴崎芳太郎が踏破したルートも
この映画を見る前に聞いていたこと、
そして、
大井川鉄道のSLや大井川も
映っていて、あっ、出た出た。と
感動の139分だった。
ほぼ満席。
劇場には、SHCのメンバーもいて、
「楽しみにしていた映画で、滑落シーン、雪崩シーンが迫力あった。」と言っていた。

そこで、・・・雨の日は映画に限る ・・
見るならコレ、昨日封切りの、「剣岳・点の記」。
於、藤枝シネ・ブレーゴ

監督の木村大作氏のお話の通りだった。
新田次郎原作のこの映画、「剣岳・点の記」
小説にでてくる、川根本町出身の測夫、
生田信さんにまつわるエピソードも
(生田さんのお孫さんは、現在
川根本町千頭在住)
柴崎芳太郎が踏破したルートも
この映画を見る前に聞いていたこと、
そして、
大井川鉄道のSLや大井川も
映っていて、あっ、出た出た。と
感動の139分だった。
ほぼ満席。
劇場には、SHCのメンバーもいて、
「楽しみにしていた映画で、滑落シーン、雪崩シーンが迫力あった。」と言っていた。
2009年04月30日
映画 「剣岳・点の記」
4月29日 映画監督、木村大作氏来静。この車で全国を回っている。 (グランシップ入口前にて)


NPO法人 「地域マップ研究所」 公開講座
「剣岳、点の記」 に学ぶ地図づくりのロマン
グランシップ、11階ホールにてNPO法人地域マップ研究所の公開講座に参加する。
第1部は測量の歴史、点と記と地図、柴崎芳太郎の測量した軌跡の講座。


第2部では
映画「剣岳、点の記」の
予告編、
メーキング映像上映。
映画監督、木村大作氏の
おもしろい撮影裏話。マイクなし。地声で会場後ろの席でも
聞こえる。70歳とは思えない。
話は尽きなく時間の経つのが早い。
剣岳(標高2999mの山)
富山県・飛騨山脈(北アルプス)の立山連峰にある。
点の記
三角点設定の記録
監督の話。
この映画は、自分自身である。
志を一緒に持てる、共有できる人だけを選んで、キャスト、スタッフを編成した。
本物の場所で、本物の俳優を使って映画を撮りたかった。
今回の撮影は2年かかり、3000m級の山に200日缶詰状態。
協力してくれた俳優さんたちには本当に感謝している。
自然は忍耐強く、自然の状態を待ち続ける。
この映画は、志がない人は一切参加できない映画。
俳優さんたちには 「こちらのスケジュールに合わせてください。」
と頼み、それを承諾した人だけが出演している。
厳しさの中で撮影を進めるうちに役者さんの顔つきが美しく変わっていった。
そして、立山連峰の自然と向き合ったロケを約200日間にかけて行い、完成した。
誰も、効率的に考えるものごとが優先されるこの時代、信念と勇気で、
本物にこだわり続けた208日間。
体感温度氷点下40度。標高3000mの撮影地点で、仕事に取り組んだ人々の魂の記録。
地位や名誉ではなく、単に、撮影をして、映画を作る。という原点に立ち、CGなどに頼らず、
本物を撮ることの映画作りが、この映画。
7月13日は自分の誕生日でもあり柴崎が初登山した日。天気は良いと思ったが、ダメだった。それで
7月17日は天気に恵まれたので4時間かけて山頂に登り、素晴らしい状況の中で撮影ができた。
人生最高のこの日を自分の誕生日にしたいと市役所に頼んだが受け付けてくれなかった。
70歳からは、7月17日を“心の誕生日”にしたいと思っている。
今年の7月17日には劔岳の山頂に登る。映画がヒットしたら、劔岳の祠にお参りする。
映画は人間のドラマ。しかしこの映画では、その人間ドラマが繰り広げられる背景に
すばらしい自然を選んでいる。僕自身も目の前の自然に感動しながら撮っていた。
美しさは厳しさの中にしかない。楽な所では本当の美しいものは撮れない。
・・・ と、・・・・・・・・こんなお話でした。


NPO法人 「地域マップ研究所」 公開講座
「剣岳、点の記」 に学ぶ地図づくりのロマン
グランシップ、11階ホールにてNPO法人地域マップ研究所の公開講座に参加する。
第1部は測量の歴史、点と記と地図、柴崎芳太郎の測量した軌跡の講座。


第2部では
映画「剣岳、点の記」の
予告編、
メーキング映像上映。

おもしろい撮影裏話。マイクなし。地声で会場後ろの席でも
聞こえる。70歳とは思えない。
話は尽きなく時間の経つのが早い。
剣岳(標高2999mの山)
富山県・飛騨山脈(北アルプス)の立山連峰にある。
点の記
三角点設定の記録
監督の話。
この映画は、自分自身である。
志を一緒に持てる、共有できる人だけを選んで、キャスト、スタッフを編成した。
本物の場所で、本物の俳優を使って映画を撮りたかった。
今回の撮影は2年かかり、3000m級の山に200日缶詰状態。
協力してくれた俳優さんたちには本当に感謝している。
自然は忍耐強く、自然の状態を待ち続ける。
この映画は、志がない人は一切参加できない映画。
俳優さんたちには 「こちらのスケジュールに合わせてください。」
と頼み、それを承諾した人だけが出演している。
厳しさの中で撮影を進めるうちに役者さんの顔つきが美しく変わっていった。
そして、立山連峰の自然と向き合ったロケを約200日間にかけて行い、完成した。
誰も、効率的に考えるものごとが優先されるこの時代、信念と勇気で、
本物にこだわり続けた208日間。
体感温度氷点下40度。標高3000mの撮影地点で、仕事に取り組んだ人々の魂の記録。
地位や名誉ではなく、単に、撮影をして、映画を作る。という原点に立ち、CGなどに頼らず、
本物を撮ることの映画作りが、この映画。
7月13日は自分の誕生日でもあり柴崎が初登山した日。天気は良いと思ったが、ダメだった。それで
7月17日は天気に恵まれたので4時間かけて山頂に登り、素晴らしい状況の中で撮影ができた。
人生最高のこの日を自分の誕生日にしたいと市役所に頼んだが受け付けてくれなかった。
70歳からは、7月17日を“心の誕生日”にしたいと思っている。
今年の7月17日には劔岳の山頂に登る。映画がヒットしたら、劔岳の祠にお参りする。
映画は人間のドラマ。しかしこの映画では、その人間ドラマが繰り広げられる背景に
すばらしい自然を選んでいる。僕自身も目の前の自然に感動しながら撮っていた。
美しさは厳しさの中にしかない。楽な所では本当の美しいものは撮れない。
・・・ と、・・・・・・・・こんなお話でした。