2024年03月05日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その7 ( ジョシャデ ~ ルクラ・カトマンズ )
1月4日(水)トレッキング6日目、長いと思っていたトレッキングも、アットゆう間に最終日、初日に下った200mの標高差をルクラに向って最後の登りが待っている。
出発は昨日と同様7時40分に、温かみの合った”Jorsale Guest House”のオーナーの見送りを受け、最終日のトレッキングを開始した。朝の冷気で気持ちも引き締まる、”モンジュ”まではドゥード・コシ河沿いに平坦な道を進む、更に”チュモア”をへて大滝を眺めながら”
初日に宿泊した”パクディンの宿”には11時30分に到着し昼食となった、この数日で好みになった”ミルクティー”で最後の登りに活力をつけた。
予想した通り、ルクラへの最後の登りは、長く体に応えるが45分ピッチで乗り切る、4時過ぎ見覚えのある”入山管理所”に到着ゲートをくぐると、ルクラの土産物が並ぶ主街道を抜け、空港サイドの”エアポートホテル”に到着16時30分、アットゆう間のトレッキングが終了した、後は無事カトマンズまで、セスナが飛んでくれるだけだ。
夕食はそれぞれが好みの”ネパール料理”を注文し祝杯はカトマンズまでお預けとした。
1月5日(木)トレッキング7日目(最終日)、昨晩お別れをしたと思った”ポータ”は、律義にも飛行機が飛び立つまで見送ってくれるようだ、ポータはこの仕事の為、二日掛けてルクラまで出て来ていたとのこと”感謝感激”だ。
8時45分空港へ、そしてポータとの別れの写真をとり、ボーディングチェックを受けさあ出発かと思っていたが、飛行機が飛び立ったのは11時50分になっていた・・・・・
飛行機から眺める、何個かの集落や白銀に輝く高峰を目に焼け自分なりに”エベレスト街道”と別れを告げた。長い間頭に描いていた”ヒマラヤトレッキングとエベレストとの対面”、で最高の誕生日を迎えられた事を胸にしまい込んだ、全てに感謝の旅でした。















出発は昨日と同様7時40分に、温かみの合った”Jorsale Guest House”のオーナーの見送りを受け、最終日のトレッキングを開始した。朝の冷気で気持ちも引き締まる、”モンジュ”まではドゥード・コシ河沿いに平坦な道を進む、更に”チュモア”をへて大滝を眺めながら”
初日に宿泊した”パクディンの宿”には11時30分に到着し昼食となった、この数日で好みになった”ミルクティー”で最後の登りに活力をつけた。
予想した通り、ルクラへの最後の登りは、長く体に応えるが45分ピッチで乗り切る、4時過ぎ見覚えのある”入山管理所”に到着ゲートをくぐると、ルクラの土産物が並ぶ主街道を抜け、空港サイドの”エアポートホテル”に到着16時30分、アットゆう間のトレッキングが終了した、後は無事カトマンズまで、セスナが飛んでくれるだけだ。
夕食はそれぞれが好みの”ネパール料理”を注文し祝杯はカトマンズまでお預けとした。
1月5日(木)トレッキング7日目(最終日)、昨晩お別れをしたと思った”ポータ”は、律義にも飛行機が飛び立つまで見送ってくれるようだ、ポータはこの仕事の為、二日掛けてルクラまで出て来ていたとのこと”感謝感激”だ。
8時45分空港へ、そしてポータとの別れの写真をとり、ボーディングチェックを受けさあ出発かと思っていたが、飛行機が飛び立ったのは11時50分になっていた・・・・・
飛行機から眺める、何個かの集落や白銀に輝く高峰を目に焼け自分なりに”エベレスト街道”と別れを告げた。長い間頭に描いていた”ヒマラヤトレッキングとエベレストとの対面”、で最高の誕生日を迎えられた事を胸にしまい込んだ、全てに感謝の旅でした。















2024年03月05日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その6 ( タンボチェ ~ ジョシャデ ) )
1月3日(火)トレッキング5日目、お陰で今日も少し雲はあるが好天。
昨日見ることが出来なかった、クーンブ山群の高峰を少しでも写真に撮ろうと、6時前に起床して外に飛び出したが、ロッジの北側は樹林で見とおしがきかず、丘状の高台を息を切らし登るが、一向に開けず そのうち太陽が昇り始め、エベレストの山肌が赤みを帯びてきた、朝食時間が迫ってる為、一度ロッジに戻り見通しの良い場所で、朝焼けの山稜を数ショットカメラに収めた(後で見ると慌てて撮影した為、残念ながらピンボケの写真でした・・・残念 )。
今日明日の2日間で、登山基地のルクラに戻る為、出発の時間は少し早めの7時40分、昨日あえいで登った急坂はアットゆう間に下り、プンキタンガの吊り橋へは1時間で到達、サナサ、キャンズマと緩傾斜の登りを急ぐ、昨日と違いエベレストを背にした歩行だ。仏塔では
アマ・ダブラムやエベレスト、ローチェ、ヌプチェをしっかりと目に焼き付けた。昼食はナムチェのロッジで約1時間とり、14時20分 今日の予定集落”モンジュ”を目指す。昨日に続き今日も午後の1時を過ぎると、ガスがわき出し周辺の山頂部は見ることが出来ない。
ナムチェからの600mの下りは、一昨日3時間かけて登ったのが嘘のよう、約半分の90分で登り口のヒラリー橋に到着。此処でリフレッシュの為 大休憩をとる、目標の”モンジュ”はまだかなりの距離があるようだ。
日没は近い暫く河原のルートを進み、午後5時ドゥード・コシ河沿いの集落”ジョシャデ”に到着、日没も近い為 今日の宿に決めた。
今回最長の行動時間9時間30分で長い一日を終了した、暖炉で身体を温めながら飲む”ミルクティー”の一杯を堪能できた。





昨日見ることが出来なかった、クーンブ山群の高峰を少しでも写真に撮ろうと、6時前に起床して外に飛び出したが、ロッジの北側は樹林で見とおしがきかず、丘状の高台を息を切らし登るが、一向に開けず そのうち太陽が昇り始め、エベレストの山肌が赤みを帯びてきた、朝食時間が迫ってる為、一度ロッジに戻り見通しの良い場所で、朝焼けの山稜を数ショットカメラに収めた(後で見ると慌てて撮影した為、残念ながらピンボケの写真でした・・・残念 )。
今日明日の2日間で、登山基地のルクラに戻る為、出発の時間は少し早めの7時40分、昨日あえいで登った急坂はアットゆう間に下り、プンキタンガの吊り橋へは1時間で到達、サナサ、キャンズマと緩傾斜の登りを急ぐ、昨日と違いエベレストを背にした歩行だ。仏塔では
アマ・ダブラムやエベレスト、ローチェ、ヌプチェをしっかりと目に焼き付けた。昼食はナムチェのロッジで約1時間とり、14時20分 今日の予定集落”モンジュ”を目指す。昨日に続き今日も午後の1時を過ぎると、ガスがわき出し周辺の山頂部は見ることが出来ない。
ナムチェからの600mの下りは、一昨日3時間かけて登ったのが嘘のよう、約半分の90分で登り口のヒラリー橋に到着。此処でリフレッシュの為 大休憩をとる、目標の”モンジュ”はまだかなりの距離があるようだ。
日没は近い暫く河原のルートを進み、午後5時ドゥード・コシ河沿いの集落”ジョシャデ”に到着、日没も近い為 今日の宿に決めた。
今回最長の行動時間9時間30分で長い一日を終了した、暖炉で身体を温めながら飲む”ミルクティー”の一杯を堪能できた。





2024年02月14日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・番外編・その2(カトマンズ市内観光)
タンボチェまでのトレッキングが、好天に恵まれ計画通り、全行程6日間で完了した為、予備の2日間が帰国のフライトまでフリータイムンとなった。おかげでこの日程を使い、カトマンズの市内観光に当てた。1月7日は1人で”ガイド”お願いして、カトマンズの三大寺院を見学した。
その寺院は"ボダナート⇒世界最大の仏塔" "パシュパティナート⇒シヴァを祀るヒンドゥー寺院" "スワヤンブナ―ト⇒仏の眼が四方を見通している"三大寺院を訪ねると、30数年前の訪問を思い出した。
また30数年前に尋ねた頃とは、驚くほど変化しており、月日の経過に驚かされた。案内してくれたガイド゛さんは、自分の三男と同い年、片言の日本語で家族のことなど聞き、何か息子と観光を楽むような感覚になった。
最終日の1月8日のフライト時間は、カトマンズ発15:45と余裕が有る為、午前中は市内のスーパー(日本のコンビニみたいな店)で土産物を物色した。一人で店を探すため、念のため"ホテルの名刺"を持参する。おかげで帰宅のルートが解らなくなり、市中で名刺を見せホテルへのルートを訪ねることが出来た。
今回の旅で、強く思ったことは、語学(特に英語)の習得は、年齢もさておき毎日のラジオを活用した、勉学を始めようと思った。
特に、今回は少しでも、飛行機代金を安価にする為、トランジット(乗り換え)が多く、案内を聞く機会が多かった為、語学研修の必要性を更に強く感じた。
"カトマンズ~デリー(インド)~香港~羽田"と二日間で、羽田に到着(1月9日13:45)した時はほっとした。正月の三が日が過ぎた日本は、"地震・飛行機事故"と落ち着かない、首都圏を通り、無事自宅に辿り着くことが出来た。























その寺院は"ボダナート⇒世界最大の仏塔" "パシュパティナート⇒シヴァを祀るヒンドゥー寺院" "スワヤンブナ―ト⇒仏の眼が四方を見通している"三大寺院を訪ねると、30数年前の訪問を思い出した。
また30数年前に尋ねた頃とは、驚くほど変化しており、月日の経過に驚かされた。案内してくれたガイド゛さんは、自分の三男と同い年、片言の日本語で家族のことなど聞き、何か息子と観光を楽むような感覚になった。
最終日の1月8日のフライト時間は、カトマンズ発15:45と余裕が有る為、午前中は市内のスーパー(日本のコンビニみたいな店)で土産物を物色した。一人で店を探すため、念のため"ホテルの名刺"を持参する。おかげで帰宅のルートが解らなくなり、市中で名刺を見せホテルへのルートを訪ねることが出来た。
今回の旅で、強く思ったことは、語学(特に英語)の習得は、年齢もさておき毎日のラジオを活用した、勉学を始めようと思った。
特に、今回は少しでも、飛行機代金を安価にする為、トランジット(乗り換え)が多く、案内を聞く機会が多かった為、語学研修の必要性を更に強く感じた。
"カトマンズ~デリー(インド)~香港~羽田"と二日間で、羽田に到着(1月9日13:45)した時はほっとした。正月の三が日が過ぎた日本は、"地震・飛行機事故"と落ち着かない、首都圏を通り、無事自宅に辿り着くことが出来た。























2024年02月14日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・番外編(カトマンズ市内観光)
タンボチェまでのトレッキングが、好天に恵まれ計画通り、全行程6日間で完了した為、予備の2日間が帰国のフライトまでフリータイムンとなった。おかげでこの日程を使い、カトマンズの市内観光に当てた。1月6日は3人で観光客が多い"タメル地区"~王宮のある"ダルバール・スクエア"周辺まで散策した
30数年前に尋ねた頃と、驚くほど変化しており、月日の経過に驚かされた。夕方 滞在ホテルの近くの日本食レストラン"Momotarou"で一週間振りの祝杯を挙げ、今回の打ち上げとした。"天ぷら、豆腐"などの日本食に舌鼓を打った。















30数年前に尋ねた頃と、驚くほど変化しており、月日の経過に驚かされた。夕方 滞在ホテルの近くの日本食レストラン"Momotarou"で一週間振りの祝杯を挙げ、今回の打ち上げとした。"天ぷら、豆腐"などの日本食に舌鼓を打った。















2024年02月08日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その5 ( ナムチェ~タンボチェ )
1月2日(月)トレッキング4日目、今回の最終到達地”タンボチェ( 3,867m )”を目指す。
ガイドブックによると、”ナムチェ( 3440m )からの山腹道は、エベレストを正面に観ながら、凹凸の少ない緩い下りの歩きやすい街道だ”と記載されていた。歩行距離は9kmほど、朝食に時間をとり、出発は8時15分と少し遅めとなった。
今日も快晴、石畳状の広く緩い下りの道を、白銀の高峰を眺めながらの、山腹道歩きは快適だ。スタートから1時間30分、仏塔(チョルテン)の建つビューポイントで写真撮影などして休息。アマ・ダブラムやエベレストをあきるほど眺めながら、平坦と言えどもかなりのアップダウンによりそれなりの疲れもある。キャンズマを過ぎ程なく大きな表示板に”エベレストBCまで21hr(34km)” ”ゴーキョまで16hr(21km)””サナサ 標高 3600m”を確認。
ここからかなり急な下りで、ドゥード・コシ河の渓谷を見てテシンガ村から、更にプンキタンガ(標高3250m)まで下り、河沿いのロッジで休憩。予想以上に疲れ、この先”タンボチェ”までの標高差約600mの登りが心配だ。今のままでは無理だろうと思いながらも、ガイドの持つ”パルスオキシメータ(血中酸素濃度と心拍数の計測器)”で計測すると95%と全く高度障害無しの判定に、何とかこの高度差を登る元気を頂いた。
1時間30分の休憩後14時40分 遅めの再出発となった。急な坂を30~40分のペースで登り、タンボチェのロッジには16時55分にやっとたどり着いた、周辺にはガスが立ち込め、期待する景観は見られず程なく日没となってしまった、エベレストを始めとする景色を明日に期待して、ロッジでの団欄を満喫した(今まで以上に多国籍のパーティーが薪の暖炉を囲みくつろいでいた)。






ガイドブックによると、”ナムチェ( 3440m )からの山腹道は、エベレストを正面に観ながら、凹凸の少ない緩い下りの歩きやすい街道だ”と記載されていた。歩行距離は9kmほど、朝食に時間をとり、出発は8時15分と少し遅めとなった。
今日も快晴、石畳状の広く緩い下りの道を、白銀の高峰を眺めながらの、山腹道歩きは快適だ。スタートから1時間30分、仏塔(チョルテン)の建つビューポイントで写真撮影などして休息。アマ・ダブラムやエベレストをあきるほど眺めながら、平坦と言えどもかなりのアップダウンによりそれなりの疲れもある。キャンズマを過ぎ程なく大きな表示板に”エベレストBCまで21hr(34km)” ”ゴーキョまで16hr(21km)””サナサ 標高 3600m”を確認。
ここからかなり急な下りで、ドゥード・コシ河の渓谷を見てテシンガ村から、更にプンキタンガ(標高3250m)まで下り、河沿いのロッジで休憩。予想以上に疲れ、この先”タンボチェ”までの標高差約600mの登りが心配だ。今のままでは無理だろうと思いながらも、ガイドの持つ”パルスオキシメータ(血中酸素濃度と心拍数の計測器)”で計測すると95%と全く高度障害無しの判定に、何とかこの高度差を登る元気を頂いた。
1時間30分の休憩後14時40分 遅めの再出発となった。急な坂を30~40分のペースで登り、タンボチェのロッジには16時55分にやっとたどり着いた、周辺にはガスが立ち込め、期待する景観は見られず程なく日没となってしまった、エベレストを始めとする景色を明日に期待して、ロッジでの団欄を満喫した(今まで以上に多国籍のパーティーが薪の暖炉を囲みくつろいでいた)。






"その5"は此処まで、"その6"は明日にアップします、ご期待を‼‼‼‼‼
2024年02月07日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その4・最高の誕生日 ( 高所順応でエベレストビューホテルへ )
2024年元旦(日)トレッキング3日目、 6時昨日の9時間のアルバイトで、足腰が心地よい張りで目覚める。窓の外は薄暗のなか少しの明かりが快晴を約束している、今日は”高所順応”の為”シャンボチェの丘”を登り、正面から”エベレスト”との対面となる、お好みの”おかゆ”朝食を慌ただしく食し、さあ出発だ。
7時50分いまだ外気は冷っとする、ナムチェ集落の急峻なメイン道路を息を切らせて登る、出発からほぼ1時間、エベレストが見えだす”ビューポイント”へ、待ちに待った一瞬だ、紺碧のヒマラヤンブルーの空に、特徴のある先鋭の白銀の頂陵が目に飛び込んできた。最高の誕生日の贈り物だ。暫く進むと更に”ローツェ、アマダブラム”も明確になってきた、ルートもいつの間に、緩傾斜の丘陵状に変化、左側にシャンボチェ飛行場(現在はヘリポート主体)がそしてさらに眺望の良い”シャンボチェの丘”に到着、時間は10時15分、この高峰をバックにそろって記念撮影。
丘陵を登り切ると、日本人が造った”エベレストビューホテル”に到着、ホテルの東側の
テラスからは北に”エベレスト(8,848m)” ”ローツェ(8,516m)” ”アマ・ダブラム(6,812m)”
”タムセルク(6,623m)” ”クスムカングル(6,367m)”などの高峰が連なる展望を楽しんだ、しばらくこの景色をバックに、コーヒ を楽しんだ、周辺には”オーストラリア””韓国”ほか数パ―ティが国際色豊かに団らんしていた、我々もほぼ1時間満ち足りた時を過ごした。予定ではクムジュン村で、ヒラリーの功績を見学する予定だつたが、高度順応もできまた、体力を温存する為にも、そのまま下山することにした。
下山は、カラフルナ建物が広がる”ナムチェ集落”を眼下に眺めながら、少し汗をかく暑い陽だまりを楽しみながら、宿への道を下って行った。











7時50分いまだ外気は冷っとする、ナムチェ集落の急峻なメイン道路を息を切らせて登る、出発からほぼ1時間、エベレストが見えだす”ビューポイント”へ、待ちに待った一瞬だ、紺碧のヒマラヤンブルーの空に、特徴のある先鋭の白銀の頂陵が目に飛び込んできた。最高の誕生日の贈り物だ。暫く進むと更に”ローツェ、アマダブラム”も明確になってきた、ルートもいつの間に、緩傾斜の丘陵状に変化、左側にシャンボチェ飛行場(現在はヘリポート主体)がそしてさらに眺望の良い”シャンボチェの丘”に到着、時間は10時15分、この高峰をバックにそろって記念撮影。
丘陵を登り切ると、日本人が造った”エベレストビューホテル”に到着、ホテルの東側の
テラスからは北に”エベレスト(8,848m)” ”ローツェ(8,516m)” ”アマ・ダブラム(6,812m)”
”タムセルク(6,623m)” ”クスムカングル(6,367m)”などの高峰が連なる展望を楽しんだ、しばらくこの景色をバックに、コーヒ を楽しんだ、周辺には”オーストラリア””韓国”ほか数パ―ティが国際色豊かに団らんしていた、我々もほぼ1時間満ち足りた時を過ごした。予定ではクムジュン村で、ヒラリーの功績を見学する予定だつたが、高度順応もできまた、体力を温存する為にも、そのまま下山することにした。
下山は、カラフルナ建物が広がる”ナムチェ集落”を眼下に眺めながら、少し汗をかく暑い陽だまりを楽しみながら、宿への道を下って行った。











"その4"は此処まで "その5"は明日、ご期待を‼‼‼‼‼
2024年02月06日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その3 ( パクディン~ナムチェ )
12月 31日(土)トレッキング2日目、今回行程で距離が長く高度差も多い。昨日同様、谷沿いの道をドゥード・コシ河に沿っていくつかの吊り橋を渡り徐々に高度を上げてゆく。この河はエベレスト氷河を源流とし、日本の川と同様透き通った色をしている、冬季で氷河の砂礫の混入が少ないのだろう、ガイドの話によると”水が冷たすぎて生き物は存在しない”とのこと。
少し下るとジヨサレの「サガルマータ国立公園」のチェックポイントとなり、ガイドが入山手続きを行ってくれた。
暫く河原を歩いた後、数十mほどの急な階段を登り、ドゥード・コシとポーテ-・コシが合流する地点で、2重吊橋がかけられている”ヒラリー橋”の表示がされていた。此処を渡り終えると、高度差600mの急坂が始まる。ルートは樹林帯の山腹をジグザグに登って行く。冬季で雨もないためか、道路は細かい土で、砂塵が舞い上がる。標高差があるので急いで歩くのは禁物だ。重荷を担いだポーターやゾッキョもしんどそうだ。
上り坂の途中のビューポイント( トップ・ダラ )でほんの少し右側の樹間越しに”エベスト”が顔を出した。
最後の坂を登り切ると階段状の街”ナムチェ(クーンブ地方最大の集落)”である。ここからは3800m越えの未経験の高度となる。
ナムチェは3方を丘陵で囲まれ、南側が開けた馬蹄形の窪地に2階建、3階建の民家やロッジが密集している。今夜の宿は3階建の小綺麗な建物で、玄関ロビーにはWi-Fiやスマホの電源が多数あり、夜間(6時過ぎ)には暖炉が炊かれ、高所とは思えない快適なロッジだ。
玄関からは、右側にタムセルク(6,648m)、左側にカンテガ(6,809m)が手に取るように眺められ、ヒマラヤトレッキングの醍醐味を味わった。
またWi-Fiのお陰で、スマホのラインにより、日本の友人や家族と普通に通信できることに驚かされた。
また少し街を散策したかったが、到着時間が17時と遅く、明日に楽しみを取っておくことにした。















少し下るとジヨサレの「サガルマータ国立公園」のチェックポイントとなり、ガイドが入山手続きを行ってくれた。
暫く河原を歩いた後、数十mほどの急な階段を登り、ドゥード・コシとポーテ-・コシが合流する地点で、2重吊橋がかけられている”ヒラリー橋”の表示がされていた。此処を渡り終えると、高度差600mの急坂が始まる。ルートは樹林帯の山腹をジグザグに登って行く。冬季で雨もないためか、道路は細かい土で、砂塵が舞い上がる。標高差があるので急いで歩くのは禁物だ。重荷を担いだポーターやゾッキョもしんどそうだ。
上り坂の途中のビューポイント( トップ・ダラ )でほんの少し右側の樹間越しに”エベスト”が顔を出した。
最後の坂を登り切ると階段状の街”ナムチェ(クーンブ地方最大の集落)”である。ここからは3800m越えの未経験の高度となる。
ナムチェは3方を丘陵で囲まれ、南側が開けた馬蹄形の窪地に2階建、3階建の民家やロッジが密集している。今夜の宿は3階建の小綺麗な建物で、玄関ロビーにはWi-Fiやスマホの電源が多数あり、夜間(6時過ぎ)には暖炉が炊かれ、高所とは思えない快適なロッジだ。
玄関からは、右側にタムセルク(6,648m)、左側にカンテガ(6,809m)が手に取るように眺められ、ヒマラヤトレッキングの醍醐味を味わった。
またWi-Fiのお陰で、スマホのラインにより、日本の友人や家族と普通に通信できることに驚かされた。
また少し街を散策したかったが、到着時間が17時と遅く、明日に楽しみを取っておくことにした。















その3は此処まで、"その4"は明日ご期待を‼‼‼‼‼ "いよいよエベレストとの対面です"
2024年02月05日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その2 ( カトマンズ・ルクラ~パクディン )
序章・計画~
誘いの声掛けから、数ヶ月、何も調査できないうちあっという間に、12月出発の月になってしまった。ずっと思い描いていた”ヒマラヤトレッキング”が間もなく実現するんだと思うと、年甲斐もなく興奮する、少しの登山用品と、下着類を新調してそれなりの準備。
たしか30数年前”タイに赴任中”友人と正月旅行でネパール、に行ったはずだ(後で調べたら’1990/12~1991/01にカトマンズに旅行)。
わくわくしながらも、日常の多忙にかまけ、何もできないうち、毎日が過ぎてしまった。またスケジュールや航空券手配、保険などの諸事項は、同行する”Moさん、Haさん”におんぶにだっこでした、感謝に堪えない。 そして出発当日、12月28日(木)島田駅発15時過ぎの電車で、羽田空港近辺のホテルに向かった。
師走で喧噪の品川駅から京浜急行を乗継、今日の宿にチックイン、やっと一息ついた。
翌12月29日早朝、ホテル調達の空港築港バスで羽田空港へ、コロナ後の国際線、わくわくしながら各種手続きを行い、買い忘れた小物を調達し、9時過ぎ飛行機に乗り込み、香港へ向かう、アットゆう間に昼過ぎの香港へ。乗継の多い香港空港は年末旅行でにきわう、人波であふれかえっていた、乗り継ぎ待ち時間は約5時間。
いよいよカトマンズへ、夕刻の19時、キャセイ603に身を託す、興奮しながらも、暗い機内で少し仮眠出来た。現地時間23時(時差 3:15)、カトマンズ・トリプバン空港に到着、出迎えの人並の中にガイドを探す。
”顔を知っているのは、Moさんだけ”、数分探すだけで迎えの花輪を携えた、ガイドと合流 せわしなく、迎えの車に乗り込み今夜のねぐらに向かった。街は深夜というのに多数の人に溢れていた。( 30数年前とは雲泥の差だ )
午前1時過ぎ、ホテルに到着 トレッキングの正式の契約と明日の計画を聞き、やっと到着の初日は完了した。
●トレッキング紀行
12月 30日(金)トレッキング初日、緊張している為か、4時の起床も気にならず、素早く着替えトリプバン空港に向かう。
天候に左右されやすい”19人乗りのセスナ”への乗車手続きを済ます、同乗者は”オーストラリアのツアー客”ほか数名、”天候は良好何とか無事飛んでくれ”と祈るように待つこと1時間 Summit Air 301は、7時30分ルクラへ飛び立った。30数分の飛行で、白銀の峰を垣間見たり、山間部に点在する村落を観たり、せわしなくカメラを駆使した。
そして憧れの”ルクラ”へ、着陸と同時に周辺の景観は変化、”ヒマラヤヒダ”高峰が眩しい。
やっと来たんだと、寒さも忘れ一人で興奮しまくっていた・・・・・・。
トレッキングのスタートは、空港前のレストハウスで一息つき、我々の興奮を一時和らげてから、開始された。
まずはルクラの街並みを見ながら、途中日本人経営の店で、履物を購入した(ロッジで活用する履物)。
快晴、日差しは強く暑いくらいだ。師走で標高3,000m近くというのに、緯度が低いため(奄美大島と同じくらい)周囲の景色は日本の初冬の里山のようである。
「エベレスト街道」の名前の由来は、通常の登山道ではなく、ルクラからエベレストの麓まで続く沿道住民( 多くは農民やトレッカー相手のロッジのオーナーなど )の生活道として使われてきたもの。そのため道幅は大人が3人~6人並んで歩けるほどの綺麗な石畳や大きな岩のゴロゴロした道が続く。
このルートはネパールでも一番人気のトレッキングコースで、世界中からの多くのトレッカーで賑わっている。
トレッカーの他物資運搬のポーター、ゾツキョ( 雌のヤクと雄の牛の合いの子 )や馬が激しく往来し、また街道上の大量の糞を踏まないように歩かなければならず、結構時間がかかる、またこの時期は乾燥しているので、砂埃に混ざり糞が飛散している。
トレッカー初日で、ガイドも様子見の為、45分ピッチで穏やかな歩行を提供してくれた、途中樹幹の白銀の名も知れぬ高峰を目に出来た。
「入山管理所」のゲートを通過すると、エベレスト街道の開始である、ここでルクラの集落は終了。
ドゥード・コシ河まで約200mの急坂を下る( 最終日にここを登ると思うとゾッとする )、空港から見え隠れする高峰は”コンデリ峰” ”クーンビラ峰”(ガイドの説明)と言うらしい。
川沿いの集落を2つ位、吊り橋を渡り順調にピッチを刻み、午後13時50分”バクディン( 2,652m )”入口のロッジに到着、初日の宿に到着した約5時間の行動時間だ、少し荷物を持ち過ぎた為明日はポータに荷を少し移そう。
夕食にはネパールの常食、ダルバート( 長流米とマメスープ )を食べたが、疲れのためか2~3口食べだけで食欲は進まなかった。















その2は此処まで、その3は明日ご期待を‼‼‼
誘いの声掛けから、数ヶ月、何も調査できないうちあっという間に、12月出発の月になってしまった。ずっと思い描いていた”ヒマラヤトレッキング”が間もなく実現するんだと思うと、年甲斐もなく興奮する、少しの登山用品と、下着類を新調してそれなりの準備。
たしか30数年前”タイに赴任中”友人と正月旅行でネパール、に行ったはずだ(後で調べたら’1990/12~1991/01にカトマンズに旅行)。
わくわくしながらも、日常の多忙にかまけ、何もできないうち、毎日が過ぎてしまった。またスケジュールや航空券手配、保険などの諸事項は、同行する”Moさん、Haさん”におんぶにだっこでした、感謝に堪えない。 そして出発当日、12月28日(木)島田駅発15時過ぎの電車で、羽田空港近辺のホテルに向かった。
師走で喧噪の品川駅から京浜急行を乗継、今日の宿にチックイン、やっと一息ついた。
翌12月29日早朝、ホテル調達の空港築港バスで羽田空港へ、コロナ後の国際線、わくわくしながら各種手続きを行い、買い忘れた小物を調達し、9時過ぎ飛行機に乗り込み、香港へ向かう、アットゆう間に昼過ぎの香港へ。乗継の多い香港空港は年末旅行でにきわう、人波であふれかえっていた、乗り継ぎ待ち時間は約5時間。
いよいよカトマンズへ、夕刻の19時、キャセイ603に身を託す、興奮しながらも、暗い機内で少し仮眠出来た。現地時間23時(時差 3:15)、カトマンズ・トリプバン空港に到着、出迎えの人並の中にガイドを探す。
”顔を知っているのは、Moさんだけ”、数分探すだけで迎えの花輪を携えた、ガイドと合流 せわしなく、迎えの車に乗り込み今夜のねぐらに向かった。街は深夜というのに多数の人に溢れていた。( 30数年前とは雲泥の差だ )
午前1時過ぎ、ホテルに到着 トレッキングの正式の契約と明日の計画を聞き、やっと到着の初日は完了した。
●トレッキング紀行
12月 30日(金)トレッキング初日、緊張している為か、4時の起床も気にならず、素早く着替えトリプバン空港に向かう。
天候に左右されやすい”19人乗りのセスナ”への乗車手続きを済ます、同乗者は”オーストラリアのツアー客”ほか数名、”天候は良好何とか無事飛んでくれ”と祈るように待つこと1時間 Summit Air 301は、7時30分ルクラへ飛び立った。30数分の飛行で、白銀の峰を垣間見たり、山間部に点在する村落を観たり、せわしなくカメラを駆使した。
そして憧れの”ルクラ”へ、着陸と同時に周辺の景観は変化、”ヒマラヤヒダ”高峰が眩しい。
やっと来たんだと、寒さも忘れ一人で興奮しまくっていた・・・・・・。
トレッキングのスタートは、空港前のレストハウスで一息つき、我々の興奮を一時和らげてから、開始された。
まずはルクラの街並みを見ながら、途中日本人経営の店で、履物を購入した(ロッジで活用する履物)。
快晴、日差しは強く暑いくらいだ。師走で標高3,000m近くというのに、緯度が低いため(奄美大島と同じくらい)周囲の景色は日本の初冬の里山のようである。
「エベレスト街道」の名前の由来は、通常の登山道ではなく、ルクラからエベレストの麓まで続く沿道住民( 多くは農民やトレッカー相手のロッジのオーナーなど )の生活道として使われてきたもの。そのため道幅は大人が3人~6人並んで歩けるほどの綺麗な石畳や大きな岩のゴロゴロした道が続く。
このルートはネパールでも一番人気のトレッキングコースで、世界中からの多くのトレッカーで賑わっている。
トレッカーの他物資運搬のポーター、ゾツキョ( 雌のヤクと雄の牛の合いの子 )や馬が激しく往来し、また街道上の大量の糞を踏まないように歩かなければならず、結構時間がかかる、またこの時期は乾燥しているので、砂埃に混ざり糞が飛散している。
トレッカー初日で、ガイドも様子見の為、45分ピッチで穏やかな歩行を提供してくれた、途中樹幹の白銀の名も知れぬ高峰を目に出来た。
「入山管理所」のゲートを通過すると、エベレスト街道の開始である、ここでルクラの集落は終了。
ドゥード・コシ河まで約200mの急坂を下る( 最終日にここを登ると思うとゾッとする )、空港から見え隠れする高峰は”コンデリ峰” ”クーンビラ峰”(ガイドの説明)と言うらしい。
川沿いの集落を2つ位、吊り橋を渡り順調にピッチを刻み、午後13時50分”バクディン( 2,652m )”入口のロッジに到着、初日の宿に到着した約5時間の行動時間だ、少し荷物を持ち過ぎた為明日はポータに荷を少し移そう。
夕食にはネパールの常食、ダルバート( 長流米とマメスープ )を食べたが、疲れのためか2~3口食べだけで食欲は進まなかった。















その2は此処まで、その3は明日ご期待を‼‼‼
2024年02月02日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その1(2023-12/28~2024-1/9)
年末年始の連休中に、ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキングに行ってきました。

行動記録
①,2023年12月28日(木) JR島田駅 15:03 ⇒ (新幹線)品川駅 ⇒ 羽田東横イン に宿泊
②,2023年12月29日(金) 羽田空港(CX543) 10:10 ✈ 香港空港・トランスファー (CX603) 19:00 ✈ カトマンズ・トリブバン空港 23:00(時差 3時間15分) カトマンズ市内ホテルに宿泊
③,2023年12月30日(土)・トレッキング1日目 カトマンズ・トリブバン空港 (セスナ機・SA301) 7:00 ✈ ルクラ空港 7:40 ~(トレッキング開始・標高:2,840m) スタート 9:00 ~約1時間ピッチ出歩く ~ パクディン(標高:2,652m) 13:50 ・行動時間:4時間50分 ・万歩計:18,216歩
④,2023年12月31日(日)・トレッキング2日目 パクディン 7:45 ~ トクトク ~ マンジュ ~ モンジュ ~ サガルマター国立公園入口(標高:2,855m) ~ 昼食 11:45---12:45 ~ ヒラリー橋 13:40 標高差 600mの急坂 ~ ナムチェ (標高:3,340m) ~ ロッジ着 17:00 ・行動時間:9時間15分 ・万歩計:23,379歩
⑤,2024年01月01日(月)・トレッキング3日目( 高度順応でエベレストビューホテルへ ) ナムチェ ・ロッジ 7:50 ~ シャンボチェの丘(標高:3,850m)・エベレストと対面(絶景に感動) ~ エベレストビューホテルのテラス (標高:3,841m) 11:10---12:00 ~ ナムチェの ロッジ着 14:00 ・行動時間:6時間10分 ・万歩計:11,565歩
⑥,2024年01月02日(火)・トレッキング4日目( 半日エベレストを眺めトレッキング ) ナムチェ ・ロッジ 8:10 ~ 仏塔(ビューポイント 9:40
~ キャンヅマ 11:25 ~ サナサ(シャクナゲのトンネル) 12:05 ~ プンキテンガ 13:15---14:40 ~ (タンボチェまで標高差600mの急坂) ~ (30~40分のピッチで歩く) ~ タンボチェのロッジ ( 標高:3,867m ) 16:55 ・行動時間:8時間45分 ・万歩計:22,936歩
⑦,2024年01月03日(水)・トレッキング5日目( 今回最後の強行軍 ) タンボチェ ・ロッジ 7:40 ~ プンキテンガ 8:40 ~ サナサ(分岐点・ゴーキョ,エベレストBC) 10:55 ~ ナムチェの ロッジ着(昼食) 13:35---14:20 ~ (途中のビューポイントでエベレストと別れ) ~ ヒラリー橋 15:55 ~ ジョシャデのロッジ 17:00 ・行動時間:9時間20分 ・万歩計:28,357歩
⑧,2024年01月04日(木)・トレッキング6日目( ルクラまで最後のトレッキング ) ジョシャデのロッジ 7:40 ~ モンジュ ~ トクトク10:20 ~ パクディン(昼食) 11:30---12:45 ~ サガルマター国立公園入口 16:17 ~ ルクラのロッジ(空港の横) 16:30 ・行動時間:8時間50分 ・万歩計:27,367歩
⑨,2024年01月05日(金)・トレッキング7日目( 最終日 ) ルクラのロッジ 8:45 ルクラ空港 (セスナ機・SA614) 11:50 ✈ カトマンズ・トリブバン空港 12:40 ⇒ カトマンズ市内ホテルに宿泊 13:40 ・夕食で日本食(momotaroで帰着を祝い祝杯) ・行動時間:4時間55分 ・万歩計:15,613
関連概要図




その1は此処まで、その2を ご期待‼‼
朝日に輝くエベレスト(感動の写真です)

行動記録
①,2023年12月28日(木) JR島田駅 15:03 ⇒ (新幹線)品川駅 ⇒ 羽田東横イン に宿泊
②,2023年12月29日(金) 羽田空港(CX543) 10:10 ✈ 香港空港・トランスファー (CX603) 19:00 ✈ カトマンズ・トリブバン空港 23:00(時差 3時間15分) カトマンズ市内ホテルに宿泊
③,2023年12月30日(土)・トレッキング1日目 カトマンズ・トリブバン空港 (セスナ機・SA301) 7:00 ✈ ルクラ空港 7:40 ~(トレッキング開始・標高:2,840m) スタート 9:00 ~約1時間ピッチ出歩く ~ パクディン(標高:2,652m) 13:50 ・行動時間:4時間50分 ・万歩計:18,216歩
④,2023年12月31日(日)・トレッキング2日目 パクディン 7:45 ~ トクトク ~ マンジュ ~ モンジュ ~ サガルマター国立公園入口(標高:2,855m) ~ 昼食 11:45---12:45 ~ ヒラリー橋 13:40 標高差 600mの急坂 ~ ナムチェ (標高:3,340m) ~ ロッジ着 17:00 ・行動時間:9時間15分 ・万歩計:23,379歩
⑤,2024年01月01日(月)・トレッキング3日目( 高度順応でエベレストビューホテルへ ) ナムチェ ・ロッジ 7:50 ~ シャンボチェの丘(標高:3,850m)・エベレストと対面(絶景に感動) ~ エベレストビューホテルのテラス (標高:3,841m) 11:10---12:00 ~ ナムチェの ロッジ着 14:00 ・行動時間:6時間10分 ・万歩計:11,565歩
⑥,2024年01月02日(火)・トレッキング4日目( 半日エベレストを眺めトレッキング ) ナムチェ ・ロッジ 8:10 ~ 仏塔(ビューポイント 9:40
~ キャンヅマ 11:25 ~ サナサ(シャクナゲのトンネル) 12:05 ~ プンキテンガ 13:15---14:40 ~ (タンボチェまで標高差600mの急坂) ~ (30~40分のピッチで歩く) ~ タンボチェのロッジ ( 標高:3,867m ) 16:55 ・行動時間:8時間45分 ・万歩計:22,936歩
⑦,2024年01月03日(水)・トレッキング5日目( 今回最後の強行軍 ) タンボチェ ・ロッジ 7:40 ~ プンキテンガ 8:40 ~ サナサ(分岐点・ゴーキョ,エベレストBC) 10:55 ~ ナムチェの ロッジ着(昼食) 13:35---14:20 ~ (途中のビューポイントでエベレストと別れ) ~ ヒラリー橋 15:55 ~ ジョシャデのロッジ 17:00 ・行動時間:9時間20分 ・万歩計:28,357歩
⑧,2024年01月04日(木)・トレッキング6日目( ルクラまで最後のトレッキング ) ジョシャデのロッジ 7:40 ~ モンジュ ~ トクトク10:20 ~ パクディン(昼食) 11:30---12:45 ~ サガルマター国立公園入口 16:17 ~ ルクラのロッジ(空港の横) 16:30 ・行動時間:8時間50分 ・万歩計:27,367歩
⑨,2024年01月05日(金)・トレッキング7日目( 最終日 ) ルクラのロッジ 8:45 ルクラ空港 (セスナ機・SA614) 11:50 ✈ カトマンズ・トリブバン空港 12:40 ⇒ カトマンズ市内ホテルに宿泊 13:40 ・夕食で日本食(momotaroで帰着を祝い祝杯) ・行動時間:4時間55分 ・万歩計:15,613
関連概要図
ネパール全図

クーンブ山群・エベレスト街道ルート図

エベレスト街道ルート詳細図(ルクラ~ナムチェ)

エベレスト街道ルート詳細図(ナムチェ~ロブチェ)

その1は此処まで、その2を ご期待‼‼
2020年03月03日
15年ぶりの第二の故郷へ ( その8・帰国 )
訪タイ10日目から帰国へ、タイに入国した時は長いと思った11日間はアットゆう間に過ぎ、帰国する時には思ってもいない"コロナウイルス"の蔓延に驚く日々です。9日目に訪問した空調機の工場に続き、10日目もゴルフ終了後にローカルの電機メーカ"KYE(過日勤務していた会社)"(冷蔵庫・扇風機・ホームポンプなど製造、冷蔵庫は一部日本へ輸出)も訪問できた。
ゴルフのプレーをした"レイクウッドCC"は、滞在していた時はクラブ会員で懐かしいゴルフ場です、おかげで思ったより良いスコアーで回ることが出来ました。
"KYE社"も当時から比較すると、大きく変貌し大型冷蔵庫が製造ラインから出荷する様を見て感動し。従業員も当時からほぼ5倍以上の2500名Overとのこと、工場見学中も過日過ごした時に新入社員だったスタッフが、現場の指揮をしていたのにも感動し、時の流れの速さを思い知らされた。そしてその日の夜には、当時の現地幹部だった二人を交えで、スクミットSO I39の筋向かいにある中華料理店 "大上海" で念願の"北京ダック"を食べながら旧交を温めた。
最終日は"ユニコCC"でプレーして、ORTOR KOR market で土産の"マンゴー"を購入して、最終の晩餐はエカマエにあるタイすき"mk 金"で旅を締めくくった。あとは空港での"コロナウイルス"対策を充分に行いつつ帰路に就いた。















ゴルフのプレーをした"レイクウッドCC"は、滞在していた時はクラブ会員で懐かしいゴルフ場です、おかげで思ったより良いスコアーで回ることが出来ました。
"KYE社"も当時から比較すると、大きく変貌し大型冷蔵庫が製造ラインから出荷する様を見て感動し。従業員も当時からほぼ5倍以上の2500名Overとのこと、工場見学中も過日過ごした時に新入社員だったスタッフが、現場の指揮をしていたのにも感動し、時の流れの速さを思い知らされた。そしてその日の夜には、当時の現地幹部だった二人を交えで、スクミットSO I39の筋向かいにある中華料理店 "大上海" で念願の"北京ダック"を食べながら旧交を温めた。
最終日は"ユニコCC"でプレーして、ORTOR KOR market で土産の"マンゴー"を購入して、最終の晩餐はエカマエにあるタイすき"mk 金"で旅を締めくくった。あとは空港での"コロナウイルス"対策を充分に行いつつ帰路に就いた。
懐かしいゴルフコース"レークウッドCC"




ヤシの木の緑と池の配置が素晴らしい、美しい上がりのホールの景観

KYE社の玄関で、副社長を囲んでパチリ


中華飯店 "大上海"で現地人の昔の仲間(幹部)、と北京ダックなどで旧交を温める







タイ旅行 最終の晩餐は"タイすき"をエカマエの " mk コールド" でいただく

2020年03月02日
15年ぶりの第二の故郷へ ( その7 )
訪タイ7日~9日目はタンヤGC、フリータイム、ロイヤルレークサイドGCとプレーを行い、9日目のゴルフの後、事前にお願いをしておいた工場見学を行った。この工場は30年前、家庭用・業務用空調機の専門工場として創設され、タイ国内はもとよりアジアを中心にグローバルマーケットをターゲットにした輸出主体の工場で、時世に沿って拡張を図り、アマタ・ ナコーン工業団地に2区画占有して、2nd Site には420m✖160m 総2階建の倉庫兼工場まで拡大している。製造能力は2018年度で700万台を有し、従業員はMax時で、関連会社も含め7千人の規模です。あまりの大変革に驚くばかりでした。
また、7日~9日目にはタイ在住の友人と"ソンブン"で会食を行い旧交を温めた。










また、7日~9日目にはタイ在住の友人と"ソンブン"で会食を行い旧交を温めた。
エアへコンディショナーの専門工場の前で

タイ在住の友人との会食を"ソンブン"で 海鮮料理など"カニカレー"が絶品




BTSの外観・ナナ駅 サイアムスクエアへに有るデパ地下の様子



マンゴの半分を贅沢にイタダク、絶品でした


2020年02月29日
15年ぶりの第二の故郷へ ( その6 )
訪タイ6日目、今日のゴルフ場はバンコクから南東"シラチャに有る"カオキオGC"ホテルの出発時間は6時少し過ぎまだ暗い中、渋滞を、避けたつもりがやはり少し渋滞につかまった、途中では真っ赤な太陽の日の出を眺めることが出来た。高速道のおかげで予定より少し早い8時過ぎプレースタート、南国のさわやかなコースを気持ちよく回ることが出来た。そして正午少し過ぎプレーを終え、恒例のクラブハウスで昼食。ょ鵜の夕食は海の街"バンセン"で海鮮料理の予定、その為時間を待つために、近隣の"シラチャ動物園"で時間を過ごした。海鮮料理はやはりバンセンは絶品でした。




















2020年02月27日
15年ぶりの第二の故郷へ ( その5 )
訪タイ5日目、三日連続のゴルフのプレーで疲れもたまったため、今日一日はフリータイムとして、珍しい市内観光となった。最近SNSで話題の"エメラルド色(緑ガラス仏塔)"の内装にあしらった"ワットパクナム"を訪ねた。場所は観光の寺院が集中する王宮からはかなり離れた、BTSの"タラ―トプル駅"からタクシーなと゜て゜行ける場所で、我々が訪ねた時も、すでに若い観光客(わりと日本人が多い)が押しかけていた、又他の寺院と異なりまだ"拝観料"は発生していなかった。此処の五階にその話題の場所はあった、予想通りやはり驚かされた・・・・・・・????
ここを充分時間をかけ見学し、近くの"象博物館"を除き近くのmkで昼食を摂り、ホテルに戻った。午後自分は過去に住んでいたスクミットsoi41やsoi55を歩きながら散策して、知り合いを探したがやはり浦島太郎、過去の従業員は変わっており長い年月を実感した。
夕食は、現在の宿泊しているsoi39の屋台で食事、散策はsoiカーボーイを覗いた、ここはこの国らしくケバケバしさにはり変化はなく当時よりさらにけばけばしい街並になっていた。













ここを充分時間をかけ見学し、近くの"象博物館"を除き近くのmkで昼食を摂り、ホテルに戻った。午後自分は過去に住んでいたスクミットsoi41やsoi55を歩きながら散策して、知り合いを探したがやはり浦島太郎、過去の従業員は変わっており長い年月を実感した。
夕食は、現在の宿泊しているsoi39の屋台で食事、散策はsoiカーボーイを覗いた、ここはこの国らしくケバケバしさにはり変化はなく当時よりさらにけばけばしい街並になっていた。













2020年02月25日
15年ぶりの第二の故郷へ ( その4 )
訪タイ4日目、バンコックを離れアユタヤの近く"バンサイCC"に足を延ばした、この方面にも高速道が敷設されかなりの時間短縮、コースは広々とした、プレーし易いこの国のコースのと特徴である池はかなり多い、今日はメンバーの一人が自分のベストが出ると張り切っていた、自分もかなり良いスコアーでした。午後の観光は、過日回った世界遺産の"アユタヤ王朝の遺跡"を見学した、中その中で愛知県から来たと言っていた二人の若者にもあった、久し振りに眺める遺跡にも感激した。夕食は在タイ時利用した、チャオプラヤ川沿いの海鮮料理のレストランでタイ料理を満喫した。







チャオプラヤ川沿いのレストランは、川風が涼しく乾季の今心地良い"海鮮料理"が美味しくビールも進んだ








金色に染められた"涅槃像"の前でパチリ 世界遺産やはり見ごたえがあります


南国のサンセットは街が黄金色に輝き感動する

チャオプラヤ川沿いのレストランは、川風が涼しく乾季の今心地良い"海鮮料理"が美味しくビールも進んだ




2020年02月18日
2020年02月18日
15年ぶりの第二の故郷へ ( その2 )
今回の訪タイはゴルフ三昧と過去に就業していた工場の変化を見てみたいとの個人的興味の旅です。二日目はタンヤGCで早朝の8時からのプレー、こちらでのプレーは、スタートから一気に1ラウンドを行い、昼食さらに身体のマッサージまでがフルコースで、夕食はタイ料理と一日を楽しみます。












2020年02月14日
15年ぶりの第二の故郷へ ( その1 )
昨年の夏、友人からの誘いが有り"タイでゴルフ旅行"に同行することにした。暫く(15年)渡航していなかった為、参加を申し出た。丁度寒い時期寒さを凌ぐことも同行の理由になった。また20数年前に4年ほど勤務した会社の現状やバンコクの街並みの変化も見てみたかった。1月26日"セントレア"から"乾季のバンコク"に向かった。
日本は久しぶりの雨、11時50分から約6時間、あっとゆう間に夕刻のバンコク"スアンナプーム空港"に到着、初日の夕食は滞在している友人2名と同行者3名で"mk ゴールド"のタイスキとシンハービールでタイ料理を楽しんだ
食事もおいしかったが、街並の変化は話に聞いていた以上に驚くほど、まったく"浦島太郎"になったようでした。高架電車(STB)、地下鉄、高速道路の多さ、高層ビル群、等等・・・・・・。











日本は久しぶりの雨、11時50分から約6時間、あっとゆう間に夕刻のバンコク"スアンナプーム空港"に到着、初日の夕食は滞在している友人2名と同行者3名で"mk ゴールド"のタイスキとシンハービールでタイ料理を楽しんだ
食事もおいしかったが、街並の変化は話に聞いていた以上に驚くほど、まったく"浦島太郎"になったようでした。高架電車(STB)、地下鉄、高速道路の多さ、高層ビル群、等等・・・・・・。










