2024年07月17日
日本丸が大井川港へ
7月12日~16日の5日間、大井川港開港60周年を記念し、"太平洋の白鳥"と称される『日本丸』( 大型練習帆船 )が寄港しました。
船内の一般公開は7月14日,15日の二日間行われ、"珍しい機帆船"見たさに行ってきました、判ってはいましたが見学者の多さにびっくりしながら、待ちの行列に約90分、船内見学に約20分、休日の半日を活用し、貴重な時間を充分堪能しました。














*即席で仕入れた、『日本丸』関連の一口知識です
機帆船『日本丸(にっぽんまる)』とは・・・・・・昭和59年に、初代日本丸の後継として建造された、日本を代表する、大型帆船(機帆船)です。帆を広げた華麗な姿から"太平洋の白鳥"と称されている、船員養成の機関である独立行政法人海技教育機構により運用されています。日々国内外で航海実習を行っており、今回は約2ヶ月の日本一周航海の途中この港に寄港しました ( 案内の実習生に聞いた話です ) 。
*日本丸の簡単な諸元は ①総トン数:2,570トン ②全長:110.09m ③巾:13.8m ④定格出力:2,206Kw ,1,500PS× 2 ⑤速力:最大14.3ノット ⑥最大搭載人員:実習生 120人 乗組員 70人
船内の一般公開は7月14日,15日の二日間行われ、"珍しい機帆船"見たさに行ってきました、判ってはいましたが見学者の多さにびっくりしながら、待ちの行列に約90分、船内見学に約20分、休日の半日を活用し、貴重な時間を充分堪能しました。
帆を掛けた写真をネットで拝借しました

これからは実際に撮影した日本丸の写真です













*即席で仕入れた、『日本丸』関連の一口知識です
機帆船『日本丸(にっぽんまる)』とは・・・・・・昭和59年に、初代日本丸の後継として建造された、日本を代表する、大型帆船(機帆船)です。帆を広げた華麗な姿から"太平洋の白鳥"と称されている、船員養成の機関である独立行政法人海技教育機構により運用されています。日々国内外で航海実習を行っており、今回は約2ヶ月の日本一周航海の途中この港に寄港しました ( 案内の実習生に聞いた話です ) 。
*日本丸の簡単な諸元は ①総トン数:2,570トン ②全長:110.09m ③巾:13.8m ④定格出力:2,206Kw ,1,500PS× 2 ⑤速力:最大14.3ノット ⑥最大搭載人員:実習生 120人 乗組員 70人
2024年06月23日
2024年も秘湯の湯へ

< 本沢温泉~夏沢峠~硫黄岳~横岳・概要図と登山ルート >


昨年の同じような時期に(6月初旬)、本沢温泉に来た、このルートは登山開始から約1時間で宿泊場所(山小屋又はテント場)に辿り着ける安易さから、お好みのルートになった。
また重荷を担いで歩く時間も短いため、テント泊で宿泊代が安価で”コスパが良いのが魅力。
また日本最高所の”野天風呂”を楽しむことが出来るのも魅力だ。
前回にもまして、今年は天候に恵まれ、更にウイークデイで 混雑の少ない、静かな山行を楽しむことが出来た。
6月12日の水曜日(晴)、6時少し前 自宅を出発。藤枝で1名ピックアップ、清水で四駆の車に乗換、一路登山口へGO。
出発するとすぐ、過日の疲れの為か、居眠りをしてしまい、アットゆう間に、最初のサービスエリアに到着。
その後も順調に進み 中央道の須玉ICから、八ヶ岳の東側 (長野県側) を北上して、自宅から約5時間で”本沢温泉入口”に到着。
此処から通常は徒歩で入山になるが、今回は四駆出来たメリットで、徒歩約1時間の急坂を約20分で、工程の半分を登ることが出来た。
そし車数台が駐車できる ”ケート” に到着、ここから登山開始 約1時間で 目的地だ。
今回も楽しみは”野天風呂とツクモ草などの高山植物”だ、日頃の訓練登山の成果か、途中2~3回の休憩で、午後1時過ぎ”本沢温泉”に無事到着。
まずはテント設営で寝床を確保し、山小屋で各種手続き ( 野営許可・入湯料金支払いなど ) を行い、いよいよ野天風呂へ。
風呂は、平日の為か、我々3名のみ、暫し周辺の景観と、の前に聳える”硫黄岳”を背景に”日本最高所の露天風呂を満喫した ( しかし今日の風呂は熱く 長くは浸かれなかった )。
6月13日( 晴後薄曇 ・木曜日 ) 昨夜は少し寒かった為か、ぐっすりとは眠れず少し睡眠不足、起床は3時半、パンだけの粗末な朝食を済ませ、5時前に幕営地を出発。今日の予定は、夏沢峠~硫黄岳~横岳のルートで、昨年見れなかった高山植物の”ツクモ草”をぜひ見たい、また去年は少しばて気味で”横岳”に登れなかった為、今年は必ず登ろうと心に決め、ゆっくりペースで登り出した。
夏沢峠までは、予定より少し多めに時間を掛けたが、何とか7時頃に到着。
いよいよ硫黄岳の急登に挑戦、ゆっくりゆっくり、約660mの標高差を2時間かけ登る事が出来た、残念なことに薄曇の為、山頂からの大展望は見ることが出来ず、稜線つづきの 赤岳・阿弥陀までの稜線の先を望むことは出来なかった。
これから先、硫黄岳山荘経由のルートでは、ウルップ草・ツクモ草・こまくさ等の高山植物が待っている。今回は気持も低下せず、何とか横岳山頂を踏むことが出来た。
横岳山頂直下の鎖場・梯子に少し緊張し、岩場の登を楽しんだ。
鎖場の途中では、株数は少なかったが” ツクモ草”を目の前で眺め、撮影する事が出来た。
下山は順調に進み、正午に山頂を出発して、約3時間で本沢温泉に辿り着いた。
今日は疲れた為、野天風呂へ行くのをやめ、山小屋の”内湯”で疲れを癒し、夜も昨日よりも暖かく、朝の3時まで、しっかり熟睡できた。
今回も、癖になりそうなほど、”最高所の雲上温泉”を満喫できた。
<記録>
6月 12日(水) 晴
自宅 5:40 ⇒ 藤枝⇒清水⇒(清水IC)東名,中央横断,中央(須玉IC) ⇒ 本沢温泉入口 ⇒ 登山口ゲート 10:45—11:25 ~ 休憩12:00(休み5分) ~ みどり池分岐12:50 ~ 本沢温泉テント場D 13:10 宿泊 ・野天風呂(標高:2114m)へ 約 10分
・行動時間 全体:1時間45分(内休憩 20分) ・R=11.5
・歩行距離 .5.9Km・累積標高:のぼり/くだり⇒654m/184m・歩数:10,659歩
6月 13日(木) 晴後曇 起床 3:30
テント場 4:45 ~ 湯本本沢温泉4:50(休み5分) ~ 夏沢峠7:05(2430m)(休み10分) ~ 休憩8:00(休み5分) ~ 休憩 8:25(休み5分) ~ 硫黄岳山頂(2760m)8:55(休み5分) ~ 硫黄岳山荘(2415m) 9:38 (休み10分) ~
横岳山頂(2825m) 11:15—11:55 ~ 硫黄岳山荘12:40(休み10分) ~ 硫黄岳山頂13:25(休み10分) ~ 夏沢峠14:30(休み10分) ~ 湯本本沢温泉15:20 宿泊
今日の温泉は、山小屋の内風呂に入る
・行動時間 全体:10時間30分(内休憩 120分)・R=28.35
・歩行距離 .8.7Km・累積標高:のぼり/くだり⇒987m/952m・歩数:23,520歩
6月 14日(金) 晴後曇 起床 4:30 ・野天風呂へ朝風呂を楽しむ
テント場 撤収 7:00~ 出発 8:30 ~ 休憩 8:50(休み5分) ~ 後休憩2回 ~ 登山口ゲート 9:57—10:15 ⇒ 八峰の湯 ⇒ ,( 須玉IC)中央,中央横断, 東名(清水IC), 清水・山田宅 ⇒ 藤枝 ⇒ 自宅 16:30
・行動時間:1時間27分(内休憩20分) ・R=7.15
・歩行距離 5.9Km・累積標高:のぼり/くだり⇒184m /654m・全歩数:10,841歩
3日間総計のデータ
・行動時間:13時間42分(内休憩2時間40分) ・R=45.27
・歩行距離 20.5Km・累積標高:のぼり/くだり⇒1,825m /1,703m・全歩数:45,020歩

















2024年06月19日
2024年の夏野菜植付完了
例年より10日程度遅れて、"夏野菜の植付"が完了した。今年は植付が遅かった為、作付けの悪い"小トマト"の植付は中止した、それでなくてもトマトの生育は上手くゆかない、残念だが仕方がない。その代わり"サツマイモ"の苗はいつもの倍ほどに増やした、秋の収穫が楽しみだ。暫くは水やりで目が離せない。










2024年06月19日
6月16日の贈り物
6月16日夕方帰宅すると、届け物の通知が郵便受けに入っていた。電話すると明日届けるとのこと。翌日宅配便を頂く、例年のように"父の日の贈り物"中身より気持ちが嬉しい、連れ添いが他界してからの子供からの贈り物は、嬉しさが倍増する・・・・。中身は孫の"七五三お祝いの記念写真"と孫の書いた"手紙"と趣味の登山゛着用する"Tシャツ"さっそく着用させていただく。


2024年06月02日
梅雨の花
あっという間に六月、梅雨の季節になりました。自然は敏感ですね、彼方此方に"紫陽花"が花を付け、千変万化に色を変え目を楽しませてくれます。
"紫陽花"の群生地は、各所に在りますが、友人が送ってくれた"焼津市・高草山の麓にある林叟院"の写真を掲載します。





"紫陽花"の群生地は、各所に在りますが、友人が送ってくれた"焼津市・高草山の麓にある林叟院"の写真を掲載します。





2024年05月07日
春の風物詩(静岡の特産)
春も盛り、桜が散った後、のあと"初夏"か感じられる頃、静岡の海辺と山間部で、特産の"桜エビ(駿河湾)の天日干し"と"新茶の摘み取り"、どちらも富士山を背景に、鮮やかな"桜エビの紅色"と"新茶の若葉色"が季節を表す、静岡の風物詩です。
*写真は知人から送られた写真を借用・活用しました。



*写真は知人から送られた写真を借用・活用しました。



2024年04月10日
春爛漫 (筍堀)
四月初旬、所属団体の恒例行事である"筍堀"を行った。
初めてからすでに10年以上続く行事です、元会員の知り合いが持つ竹林 ( 藤枝西北部"滝の谷" )で、旬の筍ほりを楽しむ行事です。
堀たての筍を大釜で茹で( 灰汁を摂る )、茹で上がるまでの2時間で、参加者が持ち寄った食べ物(餃子、刺身、蕎麦、などいろいろな食材)とお酒で、一時盛り上がる、"ポットラックパーティー"は"コロナ禍"以降、中止しているが、あの楽しいひと時は忘れられない。それでも皆でほり、また茹で、だべり、等は掛け替えのないひと時でした。
大釜で茹でた筍は、各々持ち帰り、早速 夕べの食材に変身、"筍ご飯""昆布との煮物"など、食卓に並ぶ春の食材に、どこの家庭も"春爛漫"の夕餉を過ごしたことでしょう。







初めてからすでに10年以上続く行事です、元会員の知り合いが持つ竹林 ( 藤枝西北部"滝の谷" )で、旬の筍ほりを楽しむ行事です。
堀たての筍を大釜で茹で( 灰汁を摂る )、茹で上がるまでの2時間で、参加者が持ち寄った食べ物(餃子、刺身、蕎麦、などいろいろな食材)とお酒で、一時盛り上がる、"ポットラックパーティー"は"コロナ禍"以降、中止しているが、あの楽しいひと時は忘れられない。それでも皆でほり、また茹で、だべり、等は掛け替えのないひと時でした。
大釜で茹でた筍は、各々持ち帰り、早速 夕べの食材に変身、"筍ご飯""昆布との煮物"など、食卓に並ぶ春の食材に、どこの家庭も"春爛漫"の夕餉を過ごしたことでしょう。







2024年04月09日
2024年04月09日
2024年03月25日
2024年03月19日
ふる里の春(いろいろ)
週2~3回体力づくりで、登っている"満観峰・高草山(通称:焼津アルプス)"も、すでに春。"河津さくら"の花びらも散り、樹木越しの駿河湾
も、"ひねもす のたりのたりかな"のごとく、白波もたたず、ゆったりと広がっていた。ある初春の陽だまりの一景色です。
写真は "春蘭" でした。



も、"ひねもす のたりのたりかな"のごとく、白波もたたず、ゆったりと広がっていた。ある初春の陽だまりの一景色です。
写真は "春蘭" でした。



2024年03月14日
県岳連・講演会(平出・中嶋両氏)
少し遡る、2月10日(土)の午後、静岡県岳連(国際委員会)の主催で「平出和也・中島健朗 の講演会」が実施された。
平出さんは、自分としては2回目の講演会だ、二人とも登山会のアカデミー賞と称される「ビオレドール賞」を複数回受賞した、国際的な登山家(山岳カメラマン)の講演を身近で聴ける、絶好の機会でした。
講演の主体は、平出氏が主体でしゃべり、中島氏は殆ど相槌を打つくらい、テレビ画面では想像つかない展開でした。
圧巻は、NHKBS放送でも放映された「2019年に未踏のルートからのラカポシ(7,788m) の登攀」と「2023年に未踏の北壁ルートからのティリチミール(7,708m) の登攀」で実写の動画を放映しながら、の講演ではハラハラドキドキで講演を楽しんだ。
こんなに身近で、国際的な人の講演を聞け、良い一日だった。




平出さんは、自分としては2回目の講演会だ、二人とも登山会のアカデミー賞と称される「ビオレドール賞」を複数回受賞した、国際的な登山家(山岳カメラマン)の講演を身近で聴ける、絶好の機会でした。
講演の主体は、平出氏が主体でしゃべり、中島氏は殆ど相槌を打つくらい、テレビ画面では想像つかない展開でした。
圧巻は、NHKBS放送でも放映された「2019年に未踏のルートからのラカポシ(7,788m) の登攀」と「2023年に未踏の北壁ルートからのティリチミール(7,708m) の登攀」で実写の動画を放映しながら、の講演ではハラハラドキドキで講演を楽しんだ。
こんなに身近で、国際的な人の講演を聞け、良い一日だった。




2024年03月05日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その7 ( ジョシャデ ~ ルクラ・カトマンズ )
1月4日(水)トレッキング6日目、長いと思っていたトレッキングも、アットゆう間に最終日、初日に下った200mの標高差をルクラに向って最後の登りが待っている。
出発は昨日と同様7時40分に、温かみの合った”Jorsale Guest House”のオーナーの見送りを受け、最終日のトレッキングを開始した。朝の冷気で気持ちも引き締まる、”モンジュ”まではドゥード・コシ河沿いに平坦な道を進む、更に”チュモア”をへて大滝を眺めながら”
初日に宿泊した”パクディンの宿”には11時30分に到着し昼食となった、この数日で好みになった”ミルクティー”で最後の登りに活力をつけた。
予想した通り、ルクラへの最後の登りは、長く体に応えるが45分ピッチで乗り切る、4時過ぎ見覚えのある”入山管理所”に到着ゲートをくぐると、ルクラの土産物が並ぶ主街道を抜け、空港サイドの”エアポートホテル”に到着16時30分、アットゆう間のトレッキングが終了した、後は無事カトマンズまで、セスナが飛んでくれるだけだ。
夕食はそれぞれが好みの”ネパール料理”を注文し祝杯はカトマンズまでお預けとした。
1月5日(木)トレッキング7日目(最終日)、昨晩お別れをしたと思った”ポータ”は、律義にも飛行機が飛び立つまで見送ってくれるようだ、ポータはこの仕事の為、二日掛けてルクラまで出て来ていたとのこと”感謝感激”だ。
8時45分空港へ、そしてポータとの別れの写真をとり、ボーディングチェックを受けさあ出発かと思っていたが、飛行機が飛び立ったのは11時50分になっていた・・・・・
飛行機から眺める、何個かの集落や白銀に輝く高峰を目に焼け自分なりに”エベレスト街道”と別れを告げた。長い間頭に描いていた”ヒマラヤトレッキングとエベレストとの対面”、で最高の誕生日を迎えられた事を胸にしまい込んだ、全てに感謝の旅でした。















出発は昨日と同様7時40分に、温かみの合った”Jorsale Guest House”のオーナーの見送りを受け、最終日のトレッキングを開始した。朝の冷気で気持ちも引き締まる、”モンジュ”まではドゥード・コシ河沿いに平坦な道を進む、更に”チュモア”をへて大滝を眺めながら”
初日に宿泊した”パクディンの宿”には11時30分に到着し昼食となった、この数日で好みになった”ミルクティー”で最後の登りに活力をつけた。
予想した通り、ルクラへの最後の登りは、長く体に応えるが45分ピッチで乗り切る、4時過ぎ見覚えのある”入山管理所”に到着ゲートをくぐると、ルクラの土産物が並ぶ主街道を抜け、空港サイドの”エアポートホテル”に到着16時30分、アットゆう間のトレッキングが終了した、後は無事カトマンズまで、セスナが飛んでくれるだけだ。
夕食はそれぞれが好みの”ネパール料理”を注文し祝杯はカトマンズまでお預けとした。
1月5日(木)トレッキング7日目(最終日)、昨晩お別れをしたと思った”ポータ”は、律義にも飛行機が飛び立つまで見送ってくれるようだ、ポータはこの仕事の為、二日掛けてルクラまで出て来ていたとのこと”感謝感激”だ。
8時45分空港へ、そしてポータとの別れの写真をとり、ボーディングチェックを受けさあ出発かと思っていたが、飛行機が飛び立ったのは11時50分になっていた・・・・・
飛行機から眺める、何個かの集落や白銀に輝く高峰を目に焼け自分なりに”エベレスト街道”と別れを告げた。長い間頭に描いていた”ヒマラヤトレッキングとエベレストとの対面”、で最高の誕生日を迎えられた事を胸にしまい込んだ、全てに感謝の旅でした。















2024年03月05日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その6 ( タンボチェ ~ ジョシャデ ) )
1月3日(火)トレッキング5日目、お陰で今日も少し雲はあるが好天。
昨日見ることが出来なかった、クーンブ山群の高峰を少しでも写真に撮ろうと、6時前に起床して外に飛び出したが、ロッジの北側は樹林で見とおしがきかず、丘状の高台を息を切らし登るが、一向に開けず そのうち太陽が昇り始め、エベレストの山肌が赤みを帯びてきた、朝食時間が迫ってる為、一度ロッジに戻り見通しの良い場所で、朝焼けの山稜を数ショットカメラに収めた(後で見ると慌てて撮影した為、残念ながらピンボケの写真でした・・・残念 )。
今日明日の2日間で、登山基地のルクラに戻る為、出発の時間は少し早めの7時40分、昨日あえいで登った急坂はアットゆう間に下り、プンキタンガの吊り橋へは1時間で到達、サナサ、キャンズマと緩傾斜の登りを急ぐ、昨日と違いエベレストを背にした歩行だ。仏塔では
アマ・ダブラムやエベレスト、ローチェ、ヌプチェをしっかりと目に焼き付けた。昼食はナムチェのロッジで約1時間とり、14時20分 今日の予定集落”モンジュ”を目指す。昨日に続き今日も午後の1時を過ぎると、ガスがわき出し周辺の山頂部は見ることが出来ない。
ナムチェからの600mの下りは、一昨日3時間かけて登ったのが嘘のよう、約半分の90分で登り口のヒラリー橋に到着。此処でリフレッシュの為 大休憩をとる、目標の”モンジュ”はまだかなりの距離があるようだ。
日没は近い暫く河原のルートを進み、午後5時ドゥード・コシ河沿いの集落”ジョシャデ”に到着、日没も近い為 今日の宿に決めた。
今回最長の行動時間9時間30分で長い一日を終了した、暖炉で身体を温めながら飲む”ミルクティー”の一杯を堪能できた。





昨日見ることが出来なかった、クーンブ山群の高峰を少しでも写真に撮ろうと、6時前に起床して外に飛び出したが、ロッジの北側は樹林で見とおしがきかず、丘状の高台を息を切らし登るが、一向に開けず そのうち太陽が昇り始め、エベレストの山肌が赤みを帯びてきた、朝食時間が迫ってる為、一度ロッジに戻り見通しの良い場所で、朝焼けの山稜を数ショットカメラに収めた(後で見ると慌てて撮影した為、残念ながらピンボケの写真でした・・・残念 )。
今日明日の2日間で、登山基地のルクラに戻る為、出発の時間は少し早めの7時40分、昨日あえいで登った急坂はアットゆう間に下り、プンキタンガの吊り橋へは1時間で到達、サナサ、キャンズマと緩傾斜の登りを急ぐ、昨日と違いエベレストを背にした歩行だ。仏塔では
アマ・ダブラムやエベレスト、ローチェ、ヌプチェをしっかりと目に焼き付けた。昼食はナムチェのロッジで約1時間とり、14時20分 今日の予定集落”モンジュ”を目指す。昨日に続き今日も午後の1時を過ぎると、ガスがわき出し周辺の山頂部は見ることが出来ない。
ナムチェからの600mの下りは、一昨日3時間かけて登ったのが嘘のよう、約半分の90分で登り口のヒラリー橋に到着。此処でリフレッシュの為 大休憩をとる、目標の”モンジュ”はまだかなりの距離があるようだ。
日没は近い暫く河原のルートを進み、午後5時ドゥード・コシ河沿いの集落”ジョシャデ”に到着、日没も近い為 今日の宿に決めた。
今回最長の行動時間9時間30分で長い一日を終了した、暖炉で身体を温めながら飲む”ミルクティー”の一杯を堪能できた。





2024年02月14日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・番外編・その2(カトマンズ市内観光)
タンボチェまでのトレッキングが、好天に恵まれ計画通り、全行程6日間で完了した為、予備の2日間が帰国のフライトまでフリータイムンとなった。おかげでこの日程を使い、カトマンズの市内観光に当てた。1月7日は1人で”ガイド”お願いして、カトマンズの三大寺院を見学した。
その寺院は"ボダナート⇒世界最大の仏塔" "パシュパティナート⇒シヴァを祀るヒンドゥー寺院" "スワヤンブナ―ト⇒仏の眼が四方を見通している"三大寺院を訪ねると、30数年前の訪問を思い出した。
また30数年前に尋ねた頃とは、驚くほど変化しており、月日の経過に驚かされた。案内してくれたガイド゛さんは、自分の三男と同い年、片言の日本語で家族のことなど聞き、何か息子と観光を楽むような感覚になった。
最終日の1月8日のフライト時間は、カトマンズ発15:45と余裕が有る為、午前中は市内のスーパー(日本のコンビニみたいな店)で土産物を物色した。一人で店を探すため、念のため"ホテルの名刺"を持参する。おかげで帰宅のルートが解らなくなり、市中で名刺を見せホテルへのルートを訪ねることが出来た。
今回の旅で、強く思ったことは、語学(特に英語)の習得は、年齢もさておき毎日のラジオを活用した、勉学を始めようと思った。
特に、今回は少しでも、飛行機代金を安価にする為、トランジット(乗り換え)が多く、案内を聞く機会が多かった為、語学研修の必要性を更に強く感じた。
"カトマンズ~デリー(インド)~香港~羽田"と二日間で、羽田に到着(1月9日13:45)した時はほっとした。正月の三が日が過ぎた日本は、"地震・飛行機事故"と落ち着かない、首都圏を通り、無事自宅に辿り着くことが出来た。























その寺院は"ボダナート⇒世界最大の仏塔" "パシュパティナート⇒シヴァを祀るヒンドゥー寺院" "スワヤンブナ―ト⇒仏の眼が四方を見通している"三大寺院を訪ねると、30数年前の訪問を思い出した。
また30数年前に尋ねた頃とは、驚くほど変化しており、月日の経過に驚かされた。案内してくれたガイド゛さんは、自分の三男と同い年、片言の日本語で家族のことなど聞き、何か息子と観光を楽むような感覚になった。
最終日の1月8日のフライト時間は、カトマンズ発15:45と余裕が有る為、午前中は市内のスーパー(日本のコンビニみたいな店)で土産物を物色した。一人で店を探すため、念のため"ホテルの名刺"を持参する。おかげで帰宅のルートが解らなくなり、市中で名刺を見せホテルへのルートを訪ねることが出来た。
今回の旅で、強く思ったことは、語学(特に英語)の習得は、年齢もさておき毎日のラジオを活用した、勉学を始めようと思った。
特に、今回は少しでも、飛行機代金を安価にする為、トランジット(乗り換え)が多く、案内を聞く機会が多かった為、語学研修の必要性を更に強く感じた。
"カトマンズ~デリー(インド)~香港~羽田"と二日間で、羽田に到着(1月9日13:45)した時はほっとした。正月の三が日が過ぎた日本は、"地震・飛行機事故"と落ち着かない、首都圏を通り、無事自宅に辿り着くことが出来た。























2024年02月14日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・番外編(カトマンズ市内観光)
タンボチェまでのトレッキングが、好天に恵まれ計画通り、全行程6日間で完了した為、予備の2日間が帰国のフライトまでフリータイムンとなった。おかげでこの日程を使い、カトマンズの市内観光に当てた。1月6日は3人で観光客が多い"タメル地区"~王宮のある"ダルバール・スクエア"周辺まで散策した
30数年前に尋ねた頃と、驚くほど変化しており、月日の経過に驚かされた。夕方 滞在ホテルの近くの日本食レストラン"Momotarou"で一週間振りの祝杯を挙げ、今回の打ち上げとした。"天ぷら、豆腐"などの日本食に舌鼓を打った。















30数年前に尋ねた頃と、驚くほど変化しており、月日の経過に驚かされた。夕方 滞在ホテルの近くの日本食レストラン"Momotarou"で一週間振りの祝杯を挙げ、今回の打ち上げとした。"天ぷら、豆腐"などの日本食に舌鼓を打った。















2024年02月08日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その5 ( ナムチェ~タンボチェ )
1月2日(月)トレッキング4日目、今回の最終到達地”タンボチェ( 3,867m )”を目指す。
ガイドブックによると、”ナムチェ( 3440m )からの山腹道は、エベレストを正面に観ながら、凹凸の少ない緩い下りの歩きやすい街道だ”と記載されていた。歩行距離は9kmほど、朝食に時間をとり、出発は8時15分と少し遅めとなった。
今日も快晴、石畳状の広く緩い下りの道を、白銀の高峰を眺めながらの、山腹道歩きは快適だ。スタートから1時間30分、仏塔(チョルテン)の建つビューポイントで写真撮影などして休息。アマ・ダブラムやエベレストをあきるほど眺めながら、平坦と言えどもかなりのアップダウンによりそれなりの疲れもある。キャンズマを過ぎ程なく大きな表示板に”エベレストBCまで21hr(34km)” ”ゴーキョまで16hr(21km)””サナサ 標高 3600m”を確認。
ここからかなり急な下りで、ドゥード・コシ河の渓谷を見てテシンガ村から、更にプンキタンガ(標高3250m)まで下り、河沿いのロッジで休憩。予想以上に疲れ、この先”タンボチェ”までの標高差約600mの登りが心配だ。今のままでは無理だろうと思いながらも、ガイドの持つ”パルスオキシメータ(血中酸素濃度と心拍数の計測器)”で計測すると95%と全く高度障害無しの判定に、何とかこの高度差を登る元気を頂いた。
1時間30分の休憩後14時40分 遅めの再出発となった。急な坂を30~40分のペースで登り、タンボチェのロッジには16時55分にやっとたどり着いた、周辺にはガスが立ち込め、期待する景観は見られず程なく日没となってしまった、エベレストを始めとする景色を明日に期待して、ロッジでの団欄を満喫した(今まで以上に多国籍のパーティーが薪の暖炉を囲みくつろいでいた)。






ガイドブックによると、”ナムチェ( 3440m )からの山腹道は、エベレストを正面に観ながら、凹凸の少ない緩い下りの歩きやすい街道だ”と記載されていた。歩行距離は9kmほど、朝食に時間をとり、出発は8時15分と少し遅めとなった。
今日も快晴、石畳状の広く緩い下りの道を、白銀の高峰を眺めながらの、山腹道歩きは快適だ。スタートから1時間30分、仏塔(チョルテン)の建つビューポイントで写真撮影などして休息。アマ・ダブラムやエベレストをあきるほど眺めながら、平坦と言えどもかなりのアップダウンによりそれなりの疲れもある。キャンズマを過ぎ程なく大きな表示板に”エベレストBCまで21hr(34km)” ”ゴーキョまで16hr(21km)””サナサ 標高 3600m”を確認。
ここからかなり急な下りで、ドゥード・コシ河の渓谷を見てテシンガ村から、更にプンキタンガ(標高3250m)まで下り、河沿いのロッジで休憩。予想以上に疲れ、この先”タンボチェ”までの標高差約600mの登りが心配だ。今のままでは無理だろうと思いながらも、ガイドの持つ”パルスオキシメータ(血中酸素濃度と心拍数の計測器)”で計測すると95%と全く高度障害無しの判定に、何とかこの高度差を登る元気を頂いた。
1時間30分の休憩後14時40分 遅めの再出発となった。急な坂を30~40分のペースで登り、タンボチェのロッジには16時55分にやっとたどり着いた、周辺にはガスが立ち込め、期待する景観は見られず程なく日没となってしまった、エベレストを始めとする景色を明日に期待して、ロッジでの団欄を満喫した(今まで以上に多国籍のパーティーが薪の暖炉を囲みくつろいでいた)。






"その5"は此処まで、"その6"は明日にアップします、ご期待を‼‼‼‼‼
2024年02月07日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その4・最高の誕生日 ( 高所順応でエベレストビューホテルへ )
2024年元旦(日)トレッキング3日目、 6時昨日の9時間のアルバイトで、足腰が心地よい張りで目覚める。窓の外は薄暗のなか少しの明かりが快晴を約束している、今日は”高所順応”の為”シャンボチェの丘”を登り、正面から”エベレスト”との対面となる、お好みの”おかゆ”朝食を慌ただしく食し、さあ出発だ。
7時50分いまだ外気は冷っとする、ナムチェ集落の急峻なメイン道路を息を切らせて登る、出発からほぼ1時間、エベレストが見えだす”ビューポイント”へ、待ちに待った一瞬だ、紺碧のヒマラヤンブルーの空に、特徴のある先鋭の白銀の頂陵が目に飛び込んできた。最高の誕生日の贈り物だ。暫く進むと更に”ローツェ、アマダブラム”も明確になってきた、ルートもいつの間に、緩傾斜の丘陵状に変化、左側にシャンボチェ飛行場(現在はヘリポート主体)がそしてさらに眺望の良い”シャンボチェの丘”に到着、時間は10時15分、この高峰をバックにそろって記念撮影。
丘陵を登り切ると、日本人が造った”エベレストビューホテル”に到着、ホテルの東側の
テラスからは北に”エベレスト(8,848m)” ”ローツェ(8,516m)” ”アマ・ダブラム(6,812m)”
”タムセルク(6,623m)” ”クスムカングル(6,367m)”などの高峰が連なる展望を楽しんだ、しばらくこの景色をバックに、コーヒ を楽しんだ、周辺には”オーストラリア””韓国”ほか数パ―ティが国際色豊かに団らんしていた、我々もほぼ1時間満ち足りた時を過ごした。予定ではクムジュン村で、ヒラリーの功績を見学する予定だつたが、高度順応もできまた、体力を温存する為にも、そのまま下山することにした。
下山は、カラフルナ建物が広がる”ナムチェ集落”を眼下に眺めながら、少し汗をかく暑い陽だまりを楽しみながら、宿への道を下って行った。











7時50分いまだ外気は冷っとする、ナムチェ集落の急峻なメイン道路を息を切らせて登る、出発からほぼ1時間、エベレストが見えだす”ビューポイント”へ、待ちに待った一瞬だ、紺碧のヒマラヤンブルーの空に、特徴のある先鋭の白銀の頂陵が目に飛び込んできた。最高の誕生日の贈り物だ。暫く進むと更に”ローツェ、アマダブラム”も明確になってきた、ルートもいつの間に、緩傾斜の丘陵状に変化、左側にシャンボチェ飛行場(現在はヘリポート主体)がそしてさらに眺望の良い”シャンボチェの丘”に到着、時間は10時15分、この高峰をバックにそろって記念撮影。
丘陵を登り切ると、日本人が造った”エベレストビューホテル”に到着、ホテルの東側の
テラスからは北に”エベレスト(8,848m)” ”ローツェ(8,516m)” ”アマ・ダブラム(6,812m)”
”タムセルク(6,623m)” ”クスムカングル(6,367m)”などの高峰が連なる展望を楽しんだ、しばらくこの景色をバックに、コーヒ を楽しんだ、周辺には”オーストラリア””韓国”ほか数パ―ティが国際色豊かに団らんしていた、我々もほぼ1時間満ち足りた時を過ごした。予定ではクムジュン村で、ヒラリーの功績を見学する予定だつたが、高度順応もできまた、体力を温存する為にも、そのまま下山することにした。
下山は、カラフルナ建物が広がる”ナムチェ集落”を眼下に眺めながら、少し汗をかく暑い陽だまりを楽しみながら、宿への道を下って行った。











"その4"は此処まで "その5"は明日、ご期待を‼‼‼‼‼
2024年02月06日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その3 ( パクディン~ナムチェ )
12月 31日(土)トレッキング2日目、今回行程で距離が長く高度差も多い。昨日同様、谷沿いの道をドゥード・コシ河に沿っていくつかの吊り橋を渡り徐々に高度を上げてゆく。この河はエベレスト氷河を源流とし、日本の川と同様透き通った色をしている、冬季で氷河の砂礫の混入が少ないのだろう、ガイドの話によると”水が冷たすぎて生き物は存在しない”とのこと。
少し下るとジヨサレの「サガルマータ国立公園」のチェックポイントとなり、ガイドが入山手続きを行ってくれた。
暫く河原を歩いた後、数十mほどの急な階段を登り、ドゥード・コシとポーテ-・コシが合流する地点で、2重吊橋がかけられている”ヒラリー橋”の表示がされていた。此処を渡り終えると、高度差600mの急坂が始まる。ルートは樹林帯の山腹をジグザグに登って行く。冬季で雨もないためか、道路は細かい土で、砂塵が舞い上がる。標高差があるので急いで歩くのは禁物だ。重荷を担いだポーターやゾッキョもしんどそうだ。
上り坂の途中のビューポイント( トップ・ダラ )でほんの少し右側の樹間越しに”エベスト”が顔を出した。
最後の坂を登り切ると階段状の街”ナムチェ(クーンブ地方最大の集落)”である。ここからは3800m越えの未経験の高度となる。
ナムチェは3方を丘陵で囲まれ、南側が開けた馬蹄形の窪地に2階建、3階建の民家やロッジが密集している。今夜の宿は3階建の小綺麗な建物で、玄関ロビーにはWi-Fiやスマホの電源が多数あり、夜間(6時過ぎ)には暖炉が炊かれ、高所とは思えない快適なロッジだ。
玄関からは、右側にタムセルク(6,648m)、左側にカンテガ(6,809m)が手に取るように眺められ、ヒマラヤトレッキングの醍醐味を味わった。
またWi-Fiのお陰で、スマホのラインにより、日本の友人や家族と普通に通信できることに驚かされた。
また少し街を散策したかったが、到着時間が17時と遅く、明日に楽しみを取っておくことにした。















少し下るとジヨサレの「サガルマータ国立公園」のチェックポイントとなり、ガイドが入山手続きを行ってくれた。
暫く河原を歩いた後、数十mほどの急な階段を登り、ドゥード・コシとポーテ-・コシが合流する地点で、2重吊橋がかけられている”ヒラリー橋”の表示がされていた。此処を渡り終えると、高度差600mの急坂が始まる。ルートは樹林帯の山腹をジグザグに登って行く。冬季で雨もないためか、道路は細かい土で、砂塵が舞い上がる。標高差があるので急いで歩くのは禁物だ。重荷を担いだポーターやゾッキョもしんどそうだ。
上り坂の途中のビューポイント( トップ・ダラ )でほんの少し右側の樹間越しに”エベスト”が顔を出した。
最後の坂を登り切ると階段状の街”ナムチェ(クーンブ地方最大の集落)”である。ここからは3800m越えの未経験の高度となる。
ナムチェは3方を丘陵で囲まれ、南側が開けた馬蹄形の窪地に2階建、3階建の民家やロッジが密集している。今夜の宿は3階建の小綺麗な建物で、玄関ロビーにはWi-Fiやスマホの電源が多数あり、夜間(6時過ぎ)には暖炉が炊かれ、高所とは思えない快適なロッジだ。
玄関からは、右側にタムセルク(6,648m)、左側にカンテガ(6,809m)が手に取るように眺められ、ヒマラヤトレッキングの醍醐味を味わった。
またWi-Fiのお陰で、スマホのラインにより、日本の友人や家族と普通に通信できることに驚かされた。
また少し街を散策したかったが、到着時間が17時と遅く、明日に楽しみを取っておくことにした。















その3は此処まで、"その4"は明日ご期待を‼‼‼‼‼ "いよいよエベレストとの対面です"
2024年02月05日
ヒマラヤ・クーンブ山群トレッキング報告・その2 ( カトマンズ・ルクラ~パクディン )
序章・計画~
誘いの声掛けから、数ヶ月、何も調査できないうちあっという間に、12月出発の月になってしまった。ずっと思い描いていた”ヒマラヤトレッキング”が間もなく実現するんだと思うと、年甲斐もなく興奮する、少しの登山用品と、下着類を新調してそれなりの準備。
たしか30数年前”タイに赴任中”友人と正月旅行でネパール、に行ったはずだ(後で調べたら’1990/12~1991/01にカトマンズに旅行)。
わくわくしながらも、日常の多忙にかまけ、何もできないうち、毎日が過ぎてしまった。またスケジュールや航空券手配、保険などの諸事項は、同行する”Moさん、Haさん”におんぶにだっこでした、感謝に堪えない。 そして出発当日、12月28日(木)島田駅発15時過ぎの電車で、羽田空港近辺のホテルに向かった。
師走で喧噪の品川駅から京浜急行を乗継、今日の宿にチックイン、やっと一息ついた。
翌12月29日早朝、ホテル調達の空港築港バスで羽田空港へ、コロナ後の国際線、わくわくしながら各種手続きを行い、買い忘れた小物を調達し、9時過ぎ飛行機に乗り込み、香港へ向かう、アットゆう間に昼過ぎの香港へ。乗継の多い香港空港は年末旅行でにきわう、人波であふれかえっていた、乗り継ぎ待ち時間は約5時間。
いよいよカトマンズへ、夕刻の19時、キャセイ603に身を託す、興奮しながらも、暗い機内で少し仮眠出来た。現地時間23時(時差 3:15)、カトマンズ・トリプバン空港に到着、出迎えの人並の中にガイドを探す。
”顔を知っているのは、Moさんだけ”、数分探すだけで迎えの花輪を携えた、ガイドと合流 せわしなく、迎えの車に乗り込み今夜のねぐらに向かった。街は深夜というのに多数の人に溢れていた。( 30数年前とは雲泥の差だ )
午前1時過ぎ、ホテルに到着 トレッキングの正式の契約と明日の計画を聞き、やっと到着の初日は完了した。
●トレッキング紀行
12月 30日(金)トレッキング初日、緊張している為か、4時の起床も気にならず、素早く着替えトリプバン空港に向かう。
天候に左右されやすい”19人乗りのセスナ”への乗車手続きを済ます、同乗者は”オーストラリアのツアー客”ほか数名、”天候は良好何とか無事飛んでくれ”と祈るように待つこと1時間 Summit Air 301は、7時30分ルクラへ飛び立った。30数分の飛行で、白銀の峰を垣間見たり、山間部に点在する村落を観たり、せわしなくカメラを駆使した。
そして憧れの”ルクラ”へ、着陸と同時に周辺の景観は変化、”ヒマラヤヒダ”高峰が眩しい。
やっと来たんだと、寒さも忘れ一人で興奮しまくっていた・・・・・・。
トレッキングのスタートは、空港前のレストハウスで一息つき、我々の興奮を一時和らげてから、開始された。
まずはルクラの街並みを見ながら、途中日本人経営の店で、履物を購入した(ロッジで活用する履物)。
快晴、日差しは強く暑いくらいだ。師走で標高3,000m近くというのに、緯度が低いため(奄美大島と同じくらい)周囲の景色は日本の初冬の里山のようである。
「エベレスト街道」の名前の由来は、通常の登山道ではなく、ルクラからエベレストの麓まで続く沿道住民( 多くは農民やトレッカー相手のロッジのオーナーなど )の生活道として使われてきたもの。そのため道幅は大人が3人~6人並んで歩けるほどの綺麗な石畳や大きな岩のゴロゴロした道が続く。
このルートはネパールでも一番人気のトレッキングコースで、世界中からの多くのトレッカーで賑わっている。
トレッカーの他物資運搬のポーター、ゾツキョ( 雌のヤクと雄の牛の合いの子 )や馬が激しく往来し、また街道上の大量の糞を踏まないように歩かなければならず、結構時間がかかる、またこの時期は乾燥しているので、砂埃に混ざり糞が飛散している。
トレッカー初日で、ガイドも様子見の為、45分ピッチで穏やかな歩行を提供してくれた、途中樹幹の白銀の名も知れぬ高峰を目に出来た。
「入山管理所」のゲートを通過すると、エベレスト街道の開始である、ここでルクラの集落は終了。
ドゥード・コシ河まで約200mの急坂を下る( 最終日にここを登ると思うとゾッとする )、空港から見え隠れする高峰は”コンデリ峰” ”クーンビラ峰”(ガイドの説明)と言うらしい。
川沿いの集落を2つ位、吊り橋を渡り順調にピッチを刻み、午後13時50分”バクディン( 2,652m )”入口のロッジに到着、初日の宿に到着した約5時間の行動時間だ、少し荷物を持ち過ぎた為明日はポータに荷を少し移そう。
夕食にはネパールの常食、ダルバート( 長流米とマメスープ )を食べたが、疲れのためか2~3口食べだけで食欲は進まなかった。















その2は此処まで、その3は明日ご期待を‼‼‼
誘いの声掛けから、数ヶ月、何も調査できないうちあっという間に、12月出発の月になってしまった。ずっと思い描いていた”ヒマラヤトレッキング”が間もなく実現するんだと思うと、年甲斐もなく興奮する、少しの登山用品と、下着類を新調してそれなりの準備。
たしか30数年前”タイに赴任中”友人と正月旅行でネパール、に行ったはずだ(後で調べたら’1990/12~1991/01にカトマンズに旅行)。
わくわくしながらも、日常の多忙にかまけ、何もできないうち、毎日が過ぎてしまった。またスケジュールや航空券手配、保険などの諸事項は、同行する”Moさん、Haさん”におんぶにだっこでした、感謝に堪えない。 そして出発当日、12月28日(木)島田駅発15時過ぎの電車で、羽田空港近辺のホテルに向かった。
師走で喧噪の品川駅から京浜急行を乗継、今日の宿にチックイン、やっと一息ついた。
翌12月29日早朝、ホテル調達の空港築港バスで羽田空港へ、コロナ後の国際線、わくわくしながら各種手続きを行い、買い忘れた小物を調達し、9時過ぎ飛行機に乗り込み、香港へ向かう、アットゆう間に昼過ぎの香港へ。乗継の多い香港空港は年末旅行でにきわう、人波であふれかえっていた、乗り継ぎ待ち時間は約5時間。
いよいよカトマンズへ、夕刻の19時、キャセイ603に身を託す、興奮しながらも、暗い機内で少し仮眠出来た。現地時間23時(時差 3:15)、カトマンズ・トリプバン空港に到着、出迎えの人並の中にガイドを探す。
”顔を知っているのは、Moさんだけ”、数分探すだけで迎えの花輪を携えた、ガイドと合流 せわしなく、迎えの車に乗り込み今夜のねぐらに向かった。街は深夜というのに多数の人に溢れていた。( 30数年前とは雲泥の差だ )
午前1時過ぎ、ホテルに到着 トレッキングの正式の契約と明日の計画を聞き、やっと到着の初日は完了した。
●トレッキング紀行
12月 30日(金)トレッキング初日、緊張している為か、4時の起床も気にならず、素早く着替えトリプバン空港に向かう。
天候に左右されやすい”19人乗りのセスナ”への乗車手続きを済ます、同乗者は”オーストラリアのツアー客”ほか数名、”天候は良好何とか無事飛んでくれ”と祈るように待つこと1時間 Summit Air 301は、7時30分ルクラへ飛び立った。30数分の飛行で、白銀の峰を垣間見たり、山間部に点在する村落を観たり、せわしなくカメラを駆使した。
そして憧れの”ルクラ”へ、着陸と同時に周辺の景観は変化、”ヒマラヤヒダ”高峰が眩しい。
やっと来たんだと、寒さも忘れ一人で興奮しまくっていた・・・・・・。
トレッキングのスタートは、空港前のレストハウスで一息つき、我々の興奮を一時和らげてから、開始された。
まずはルクラの街並みを見ながら、途中日本人経営の店で、履物を購入した(ロッジで活用する履物)。
快晴、日差しは強く暑いくらいだ。師走で標高3,000m近くというのに、緯度が低いため(奄美大島と同じくらい)周囲の景色は日本の初冬の里山のようである。
「エベレスト街道」の名前の由来は、通常の登山道ではなく、ルクラからエベレストの麓まで続く沿道住民( 多くは農民やトレッカー相手のロッジのオーナーなど )の生活道として使われてきたもの。そのため道幅は大人が3人~6人並んで歩けるほどの綺麗な石畳や大きな岩のゴロゴロした道が続く。
このルートはネパールでも一番人気のトレッキングコースで、世界中からの多くのトレッカーで賑わっている。
トレッカーの他物資運搬のポーター、ゾツキョ( 雌のヤクと雄の牛の合いの子 )や馬が激しく往来し、また街道上の大量の糞を踏まないように歩かなければならず、結構時間がかかる、またこの時期は乾燥しているので、砂埃に混ざり糞が飛散している。
トレッカー初日で、ガイドも様子見の為、45分ピッチで穏やかな歩行を提供してくれた、途中樹幹の白銀の名も知れぬ高峰を目に出来た。
「入山管理所」のゲートを通過すると、エベレスト街道の開始である、ここでルクラの集落は終了。
ドゥード・コシ河まで約200mの急坂を下る( 最終日にここを登ると思うとゾッとする )、空港から見え隠れする高峰は”コンデリ峰” ”クーンビラ峰”(ガイドの説明)と言うらしい。
川沿いの集落を2つ位、吊り橋を渡り順調にピッチを刻み、午後13時50分”バクディン( 2,652m )”入口のロッジに到着、初日の宿に到着した約5時間の行動時間だ、少し荷物を持ち過ぎた為明日はポータに荷を少し移そう。
夕食にはネパールの常食、ダルバート( 長流米とマメスープ )を食べたが、疲れのためか2~3口食べだけで食欲は進まなかった。















その2は此処まで、その3は明日ご期待を‼‼‼